あまりにも非現実的だと当時の人々が考えていた戦争放棄を痛快なる出来事と述べているのだ。

確かにこの憲法が世界に類例を見ないものである所以は、まさに憲法9条にあることは間違いない。しかし、日本国民について考えるなら、主権在民と基本的人権という憲法の条文も重要であった。それまで日本を支配してきた「お上の下にある国民」から、積極的に下から参画する国民に変わったことだ。
そして何よりも、思想や信仰の自由、表現の自由が解き放たれたことである。
とくに前文は、極めて反省的な文言と未来への誓いに満ちあふれている。もちろん、この文章がマッカーサーの草案とあまり違っていないことがある意味残念だが、日本国民が今後肝に銘じて守らなければならないことが書かれている。
日本国民が肝に銘じるべきこと
それは何か。それは第1に、日本が戦争に至った経過の最大の原因である政府の暴走を止めるために、国の最高機関である国民議会を尊重することである。
政府は、あくまで国民の委託を受けたものであり、主体は国民議会にあることである。その主体はあくまでも主権者である国民なのだ。
第2に、日本人はその反省の立場に立って、世界平和という理想を追い求めること、そのために世界の他の国民と協力しあうこと、一国の問題は世界の問題であるという自覚をもつことであるというのだ。
そしてこう結んでいる。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と。
戦後占領という喧噪の中、短期間でできた憲法であり、確かに問題も多い。アメリカ的理想主義に満ちあふれていることで、無理も多い。
しかし、この憲法によって初めて戦後日本の形が明確になったことだけは確かである。それは日本を統治するのは天皇ではなく、1人ひとりの個人であること、そして守らなければならないのは、天皇や国家ではなく、日本国民1人ひとりであることである。
さらに、日本は軍事力ではなく、個人個人の力によって世界と結びつき、世界平和の礎になることである。
日本語では国民となっている部分の英訳(日本政府による)は、人々(People)になっている。それは基本的人権が守られるのは「日本国民」だけではなく、「人間一般」であることを意味している。
どの国でも、義務教育の権利や思想や信仰の自由は保障されている。それは人間一般として保障されているからである。日本国民にだけ限定されているわけではないということだ。
時代は変わる。世界平和も長続きしない。しかし、それに従って憲法も日々変わらねばならないのであろうか。
アメリカ憲法は修正事項を入れることで200年以上変わっていない。フランス憲法では変わる場合、第四共和政から第五共和政のように、国名が変わるのである。
もし80年続いた憲法を変えるならば、日本という国のあり方が変わるのであり、それはまったく別の日本ということになる。昭和や平成のような年号ではない。憲法改正を行うというのなら、まったく新しい国を目指す覚悟をしなければならない。
当然、そこには世界に理解してもらう崇高な理念と、日本人がどのような方向を目指しているのかという理想がなければならない。そうでなければ、戯(たわむ)れに改正するわけにはいかないのである。
