現在は、2棟目の建物を宿泊所として運営している。
こうして急速に五箇山での生活に馴染んでいった米津さん夫妻だが、それはさまざまなタイミングが合い、地域の人たちに恵まれたという運もあっただろう。そもそも地方に住むという決断を簡単にできるものなのだろうか。
「夫はそこまで積極的に人とコミュニケーションをとる人ではなく、私がどんどん突き進んでいくタイプです。私が富山に家を買いたいと言ったときは、『えーっ!』と驚きつつも賛成しました。私についていくと面白いことが起きると思っているようです。
実際、富山に住み始めてから、夫もDIYでキャビネットを作ったり、家の細かい手入れをしたりと、富山での生活を楽しんでいます」
五箇山への移住にかかる費用は現実的だった
夫とともに経営する会社は海外照明の卸売販売会社で、設立15年ほど。もともと夫が海外の照明メーカーに勤務しており、その後独立した。
近年は新規事業として、従業員の母のレシピを再現した砂糖がけナッツの販売、それに先述した五箇山での宿泊所経営など、事業が多角化している。
「夫妻で2拠点を行き来しながら一緒に動けることは、とてもよいと思っています。これまでも旅先で『ここに住みたい』と思うことはよくありましたが、費用の算出まで落とし込めないままでした。五箇山のような過疎地域では、費用が(桁違いに)少なくなります。だからこそ、すぐに決断できたという面はあります」
「楽雪住宅」に住み始めてから、思いがけない出来事があった。住宅を設計した建築士らと直接会うことができたのだ。
この村立住宅を設計したのは、創建築事務所と、建築士で芝浦工業大学 名誉教授の三井所清典さん。三井所さんは地域の小学校の設計にも携わっており、偶然学校の記念式典に招待されて五箇山の近くまで来ていた。そこでかつて設計した楽雪住宅の状況を見に来たのだという。
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【まもなく2拠点生活を開始してから5年】
