もはや織田家臣団にとって、なくてはならない存在となった可成。
だが、「姉川の戦い」で織田軍が浅井長政と朝倉義景の連合軍に勝利したのちに、一大危機を迎える。宇佐山城に浅井・朝倉連合軍が侵攻してきたのだ。
信長の援軍が来ないなか、浅井・朝倉軍と対峙
信長はそのとき摂津に戻り、三好三人衆と野田・福島で対峙していた。三好三人衆を圧倒した信長だったが、突然、石山本願寺の軍勢が鉄砲隊を先頭に信長軍に襲い掛かる。
援軍はすぐには来られないだろう。ここは何とか少数の兵でしのがなければ……森可成はわずか1000の兵で宇佐山城を出陣。坂を下りながら、向かってきた敵を次々と打倒したという。
「森可成は宇佐山の砦から坂を駆け下り、坂本の町はずれで応戦した。手勢はわずか1000人足らずであったが、足軽合戦で敵の首若干を取り、勝利を収めた」(『信長公記』)
しかし、浅井・朝倉勢が3万~4万の軍勢をそろえて再び攻めてくると、劣勢に立たされた。そして、ついに可成も討ち取られてしまう。享年48だった。最期の最期まで、敵軍と戦い続けたことが、『信長公記』の記述からうかがえる。
「死力を尽くして防いだが、敵の猛攻にはかなわず、火花を散らす激戦の末、ついに森可成・織田信治・青地茂綱・尾藤源内・尾藤又八が敵の槍下に討ち死にした」
信頼できる古参の重臣を失った信長は、どれほど無念だったことだろうか。
浅井、朝倉、そして両勢力に味方した比叡山に、信長は怒りを燃やす。信長は明智光秀に比叡山の焼き討ちを命じることとなる。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(中公新書)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
宮島敬一著『浅井氏三代』(吉川弘文館)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
金松誠著『松永久秀 シリーズ・実像に迫る』(戎光祥出版)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)

