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「やっぱり父親」 京都・男児遺棄事件で《事件を考察する人々》の恐ろしさ…"子どもの死をエンタメ化"したものの正体

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行方不明の子どもが遺体で見つかる事件が相次ぎ、人々の“考察合戦”が加速しています(撮影:今井康一)
  • 木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者
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さらに、民放各局の情報番組が早朝から深夜まで特集を繰り返して視聴者感情をあおることで、エンタメ化や考察合戦を促していることも、怖さを感じさせられる理由の1つ。

実際16日放送の「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ・日本テレビ系)では、司会の宮根誠司さんが京都の事件について「あまり推察はしたくないですけども……」と断りを入れたあとに語り続けるシーンがありました。

それが仕事とはいえ、連日長時間を割くことで必然的に推測の部分が増えてしまい、それが日本全国に広がっていく。しかも民放各局で5つ以上の番組がそれを繰り返しているという罪深さを感じさせられます。

「殺人事件」を語りすぎていないか

はたして私たちはいつからこんなに殺人事件を語るようになったのでしょうか。

個人的に00年代あたりまでは、殺人事件を口に出すことすら、はばかられるようなムードがあったような感覚があります。さらに子どもが犠牲になった事件なら、なおのこと。個々人がやるせなさを抱えつつも、むやみに語るのではなく、自分と大切な人の生活に目を向けようとしていました。

しかしSNSが普及し、ネットニュースが増え、怒りを誘うようなものは繰り返し報じられ、ドラマでは考察ブームが定着するなどの変化によって、令和の人々が殺人事件を語る機会が増えています。

「殺人事件を語る」という行為は、子どもの教育上よくないのはもちろん、大人の精神衛生上でもよくないのは間違いないでしょう。

被害者の感情や警察の動きを軽視して「すぐに結論を求める」ような風潮も含め、私たちは殺人事件を語りすぎて殺伐としたムードを作っていないか。関係性のない人の事件に正義感を振りかざすよりも、自分や大切な人と向き合うことを優先させられないか。

個人がそれを少しでも考え、行動をわずかに変えることのほうが安全・安心な社会につながるような気がするのです。

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