広告契約ゼロでノイローゼ寸前だったニトリ会長の過去、"ダメ営業マン"が「たまたま選んだ家具業界」で天下を取った訳

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似鳥昭雄氏
2025年10月、新商品発表会に登場した似鳥昭雄氏(撮影:今井康一)
広告営業で1件も契約が取れず、対人恐怖症からパチンコ店で時間を潰しては半年で解雇される――。そんな「ダメ営業マン」だったという現ニトリ会長の似鳥昭雄氏。消去法で選んだ家具販売で天下を取れたのは、自身の発達障害という「脳の特性」を肯定し、起業という生きる道を見出したからでした。
今では「できないことの多い自分でよかった」と胸を張る似鳥氏ですが、ミスを連発して職を転々とした若いころはまさに“地獄のような日々”だったと振り返ります。
※本稿は『発達障害の私だからこそ、成功できた』から一部抜粋しています。

家出、のち、人と話せないダメダメ営業マン
 

北海学園大学を卒業した私は、そのまま父の会社である似鳥コンクリート工業に入社しました。しかし、父にこき使われることが嫌になって家出します。それもそうです、入社を拒んで短大に進学し、さらには「もうちょっと学生生活を……」と大学に編入したほどだったのですから。よっぽど嫌だったんでしょう。

無職、家無しになった私は札幌市内の友人に頼み込み、屋根裏に住まわせてもらいながら就職活動をしました。ようやく見つかったのは広告営業の仕事。営業所に併設されたアパートに住み込みながら、働くことになりました。

私は1件も広告契約を取ることができませんでした。マニュアル通りに真面目に売り込む場面では、どうにも言葉に詰まってしまうのです。

飛び込みで営業しても会ってもらえることは少なく、ごくたまに話を聞いてくれる人が現れても用件を伝えられない。すると相手は「この営業マンは何をしに来たんだ?」と怪訝な顔です。

話すだけでなく、相手の話を聞くのも営業の仕事ですが、そちらもダメダメでした。広告の種類、契約のパターン、値引きなどについて、その場その場でさまざまな質問が出てくると、私は即座に理解できないんですね。適当な返事もできない。

そんなことを繰り返すうち、営業に行こうとするだけで汗が噴き出すようになり、いざ相手を前にすると赤面して、言葉がつかえて出てこなくなりました。軽い対人恐怖症のような状態になってしまったのです。

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