あの大型イマーシブ施設閉館の裏に「稼働率100%でも赤字」の疑惑、マーケティングのプロが陥った"ある欲求"の怖さ
ホストクラブ自体が悪いわけではない。接客業として見れば、強いリピートを生む合理的な仕組みであり、そこに救われる人がいるのも事実だ。
しかし、その価値の源泉を直視せず、「演劇」「表現」「イマーシブ体験」というラベルを重ねた瞬間、事業は別の顔を持ち始める。本来であれば不要だったはずの脚本、演出、美術、長期の稽古期間、そして大規模な施設。それらを背負い込むことで、事業は重くなり、結果として「高稼働であっても収支が成立しにくい構造」へと変質していく。
経営者の「クリエイターでありたい」という欲求
すべてを狂わせたのは、経営者の内側にある〈クリエイターでありたいという欲求〉ではなかっただろうか。これは「運営者でありたいのか、それともクリエイターでありたいのか」という、自分自身の在り方をめぐる問題だ。
ホストクラブ運営であれば、経済合理性は成立する。しかし、「自分はクリエイターである」という内的欲求は満たされない。その違和感を埋めるために、事業に化粧を施し、その正体を少しだけ言い換えてしまう。
外に対しても、そして自分自身に対しても、無意識の嘘を重ねてしまう。こうした思考の歪みは、「動機づけられた推論」と呼ばれる。個人が望む結論に合うように、情報を解釈し、評価し、整理してしまう認知の傾向のことだ。
その結果、本来は切り分けて扱うべき「創作欲」と「事業設計」が曖昧なまま結びつき、事業は静かに持続性を失っていく。
この事例が示しているのは、特定の個人の失敗ではない。とりわけエンターテインメント業界においては、「クリエイターでありたい」という内的欲求を抱えた経営者が、そのエネルギーを十分に整理・認識できないまま、意思決定に持ち込んでしまうケースは少なくない。
「心」というものが、思っている以上に厄介な存在だということだ。そして一度、裁量権を手にした途端、その厄介さは、経営判断の中に静かに入り込んでくる。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら





















無料会員登録はこちら
ログインはこちら