「アクアライン開通で大ダメージ→駅前が閑散、地価も暴落」…そごう撤退で衰退「千葉の廃墟モール」苦戦の歴史

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そごう からくり時計
そごうのからくり時計の跡がある(筆者撮影)
そごう
他にも随所にそごうらしさが残っている(筆者撮影)

そごうの破綻が街に落とした影は大きい

そごうの撤退に翻弄されたのは、木更津や茂原だけではない。

そもそもそごうグループが全国展開を始めたのは、67年の千葉そごうオープンがきっかけだった。千葉そごう出店にあたり、上場していたそごうとは別に千葉そごうを設立。その後も1店舗につき1社という特異なグループ体制で出店し、70年代後半から日本各地で拡大を続けた。

そごうの立地戦略は"駅前"。店舗出店後に地価が上昇すると、それを担保に資金を調達して新たな店舗をつくるサイクルを築いていた。

ところがバブル崩壊により地価が下落すると、そごうグループの成長は止まり、債務超過に陥っていく。00年7月にはグループ22社が民事再生法の適用を申請した。

そごうを失った各地の街は、跡地の対応に追われた。たとえば、多摩そごうや有楽町のそごう東京店は比較的スムーズに後継店舗が決まったが、長野そごうや北九州市の小倉そごうは不動産の複雑な権利関係などを理由に思うように進まなかった。

ココリア多摩センター
多摩そごうは閉店後、三越・大塚家具出店などの変遷を経て、商業施設「ココリア多摩センター」として営業中(筆者撮影)
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