もし記者会見から逃げたら、それは本当の意味で信頼を失う時だ…TOKIO・国分太一「コンプラ違反」よりマズい"最悪の展開"

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テレビを見ていると忘れがちだが、そもそも芸能界は「物語」という虚像を売る商売だ。もちろん、中には文句のつけようのない、優れた人間性のタレントもいるだろう。ただあくまで、彼ら彼女らが「人格から切り離したパフォーマンスで対価を得ている」という前提を忘れてはいけない。

SNS社会では「起用責任」がより強く求められがち

そして、企業も行政もそうだが、プロモーションへの起用は「虚像を利用させてもらう」のと表裏一体だ。そこには常に「実像が抱えているリスク」が潜んでおり、いざというときに爆発する危険性を秘めている。

だからこそ、イメージキャラクターの起用には、慎重であるべきだ。そして、ひとたび組んだのであれば、基本的に身を任せるほかない。できるならば、たとえ不祥事が起きても、そこで関係性を途絶えさせるのではなく、「ともに歩む」姿勢が消費者には好まれる。

直近で思い出されるのが、俳優の吉沢亮さんをめぐるアイリスオーヤマの事例だ。2025年1月、酒に酔った状態で隣室へ住居侵入したとして、警視庁から事情聴取を受けたと報じられた(後に書類送検、不起訴)。

その後、所属事務所が住人との示談が成立したと発表したことを受けて、アイリスオーヤマは広告・プロモーション活動への継続起用を明言。

「卓越した表現力と幅広い支持層を持つ俳優」「ブランド価値の向上にも大きく貢献していただいております」と評価しつつ、「吉沢亮さんの今後の挑戦を応援し、共に頑張っていきたい」と、その理由を説明した。

芸能界をめぐっては、不倫や金銭問題など、あらゆるスキャンダルが日々飛びかっている。「そんな話題のどこがニュースだ」という批判も、ごもっともではあるが、それが気になる人がいる以上、報道する価値は存在する。

そして報道された以上は、「社会的責任を負うべきだ」という声が噴出するのも理解できる。

しかし、そこでプロモーションに起用していた側が、無関係を装うのは、これまた社会的責任を避けているように感じられてしまう。不祥事によるイメージダウンも、これまた「物語」だからだ。

次ページ「何が真実で、何が虚偽か」を明確にする必要がある
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