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専門知を軽視し、異論を排除する社会への懸念 異論を受け入れる寛容さは学問の場でも求められる

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日本学術会議の問題がにわかに世間を騒がせている。政府への批判だけでなく、学術会議へのバッシングも高まっている。はたしてどちらが正しいのか。

学術会議は行政機関の一部なので会員は国家公務員である。しかし、「公務員の任命だから、首相が判断して何ら問題ない」という論は短絡的だ。一般の公務員と異なり、学術会議には独立性が認められるべきだからだ。問題は、その独立性が適切かである。

近年の自民党、その前の旧民主党とも、選挙で選ばれていない「非民主的」な官僚が政策を主導することにNOを突きつけ、政治主導を進めた。これが支持されたのはわれわれが民主主義を信奉しているからだ。一方、内閣法制局の長官人事や検察官の定年延長人事では、「政治による人事権の行使」に批判が集まった。こちらは「非民主的」である内閣法制局や検察組織の独立性が尊重された。

一見矛盾する事象を読み解くカギは、民主主義以上の価値を専門家集団に認めるかという点にある。コロナ禍で専門家会議が重視されたのも同じ理屈だ。民主的に選ばれた政治家とは別に、専門知を社会に生かす意義が認識されたのだ。

しかし、独立した集団は既得権益化するおそれをつねにはらむ。そうなることを防ぐには、専門知の価値と改革のバランスを見極める必要がある。今回、政府が学術会議の「あり方」を検討すると打ち出したことに「論点ずらし」という批判がある。確かに論点ずらしが目的かもしれないが、学術会議がどんな専門知を生み出しているかを検証することには意味がある。

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