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ビジネス #日産 危機の全貌

大変革期を乗り切れるか 主導権争いで共倒れも 規模拡大路線は時代遅れ

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EVの初代リーフを満面の笑みで発表するゴーン氏(写真は09年当時)(撮影:尾形文繁)

経営難に陥った日産自動車に乗り込んでから19年。ゴーン流経営は光と影を残した。

日産は1990年代に販売不振に陥り、ほぼ毎年赤字を計上した。99年には約2兆円に上る有利子負債を抱えて倒産寸前まで来たところに手を差し伸べたのが、中堅メーカーだった仏ルノーだ。

ダイムラー・クライスラーやフォードなど有力候補とみられた世界的な企業が次々に手を引く中、火中の栗を拾ったルノーと日産の組み合わせは当時「弱小連合」と揶揄された。だが、提携後、日産に送り込まれたルノーの上席副社長だったカルロス・ゴーン氏は99年6月に日産の最高執行責任者(COO)に就任するや否や、わずか4カ月で再建計画「日産リバイバルプラン(NRP)」をまとめ上げ、社内外に衝撃を与えた。

NRPの発表でゴーン氏は「日産のブランド力を取り戻す」とも強調した(撮影:梅谷秀司)

部品メーカーとの系列見直しや村山工場など国内5工場の閉鎖、2万1000人の人員削減など、前例のないリストラ策で改革を断行。NRPを1年前倒しで達成し、2003年3月期には実質有利子負債(有利子負債から手元資金を除いたベース)をゼロにした。

部品の調達コスト削減では徹底した値下げ交渉が「ゴーンショック」と呼ばれ、鉄鋼業界再編の引き金を引くなどなれ合い主義だった日本的経営を次々に突き崩した。バブル崩壊後、失われた10年でリーダー不在を嘆いていた日本にとって、ゴーン氏は理想のリーダーとしてもてはやされた。

05年にルノーの社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、日仏の自動車トップを兼務し、ゴーン氏の権限拡大が始まる。一方、その神通力には徐々に陰りも見え始めた。06年度には就任後初めて営業減益に転じた。当時を知る日産OBは、「リストラが終わり、成長段階になると無理なストレッチ(挑戦的な目標)が現場を疲弊させていった」と振り返る。11年度から16年度までの中期経営計画「パワー88」で掲げた世界シェア8%、営業利益率8%の達成はいずれも未達に終わった。期間中に出した電気自動車(EV)を累計150万台売るという目標にはいまだ遠く及んでいない。

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