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ビジネス #ポール・アレンの多彩すぎる生涯

5万字評伝「悲運の英雄」が辿った数奇な人生 知っておきたいポール・アレンの功績

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  • 脇 英世 東京電機大学 名誉教授
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ここには少なからぬ数の生徒が集まって来たが、10年生のポール・アレンと、8年生のビル・ゲイツは、きわめて親しい仲になった。ポール・アレンは1953年1月21日生まれ、ビル・ゲイツは1955年10月28日生まれで、年齢差は2年9カ月である。

ビル・ゲイツの育った家はワシントン州41番ストリートNE5161番地で、ポール・アレンの家からは5キロほど東南にあった。ポール・アレンはビル・ゲイツの家を訪問した当時を振り返って、自伝に、あまりに大きい家なので少し怖かったくらいだと書いている。ポール・アレンの家が通常の大きさの勤労者向け住宅だったため、そのように感じたのだろう。

左からポール・アレン、リック・ウェイランド、ビル・ゲイツ(写真・ビル・ゲイツのブログより)

ビル・ゲイツの他にもコンピュータに夢中になった生徒には、ビル・ゲイツ、ポール・アレンのほかにマーク・マクドナルド、リチャード・ウェイランド(以下リック・ウェイランド)、クリス・ラーソンがいた。この3人は後にマイクロソフトに雇われた最初のプログラマーになった。早逝したケント・エバンスもいた。

レイクサイド・スクール母の会が集めた3000ドルは、コンピュータ・システムの使用料金に注ぎ込まれ、なんと1カ月で使い果たしてしまったと言われている。

Cキューブド

1968年秋、ワシントン州シアトル市NEルーズベルト・ウェイ4041番地に、コンピュータ・センター・コーポレーション(CCC、長すぎる社名なのでCの3乗すなわちCキューブドと略称されていた)というタイムシェアリング会社ができた。これはワシントン大学のコンピュータ・センターの専門家4人が地元の資本家の支援を受けて設立した企業であった。

Cキューブドは、DECの大型コンピュータPDP-10の受け入れ試験のために、人手を求めていた。このPDP-10というコンピュータは、TOPS-10という最新型のオペレーティング・システム(OS)を使っていたが、バグが多く、バグ取りが必要だった。DECとCキューブドの契約では、試運転期間中はバグがなくならない限り、CキューブドはDECに利用料金を支払わなくてもよかった。しかし、いつまでもバグがあると、Cキューブドは営業がやりにくい。すみやかにバグを取り除かなくてはならない。

PDP-10(写真: Joe Mabel)

1968年、Cキューブドの出資者の1人でレイクサイド・スクールの生徒の母親であったモニク・ロナが、レイクサイド・スクールに優秀な生徒達がいることを聞きつけていた。Cキューブドにポール・アレンとビル・ゲイツを連れて行って正式に紹介したのは前述の数学教師、フレッド・ライトであったらしい。

Cキューブドは彼らを採用した。しかし、現金での報酬が支払われたわけではない。利用者の少ない時間や営業時間外に好きなだけコンピュータを使ってよいという条件での雇用である。ただしコンピュータをできるだけクラッシュさせてバグを見つけることが要求されていた。ストレス・テストも兼ねていたのだろう。15歳のポール・アレンと13歳のビル・ゲイツは喜んだ。Cキューブド側は、生徒達をレイクサイド・キッズとかテスターズと呼んでいた。

ビル・ゲイツやポール・アレンのコンピュータに対する熱心さは他の生徒たちからは群を抜いていた。ピザとソフト・ドリンクを持ち込んで、TOPS-10のデバッグ作業に励んだ。彼らのバグ報告帳は300ページにも及んだという。これに夢中になったおかげで2人の学校での成績は確実に下がった。

2人はTOPS-10の中身を知りたがった。今で言えばウィンドウズやLINUXなどのOSの中身を知りたいというのと同じである。ビル・ゲイツはゴミ箱の中からTOPS-10のソース・コードの印字出力を見つけ出した。それはアセンブリ言語で書いてあった。

スティーブ・ラッセルとポール・アレン

Cキューブドには優秀なプログラマーが何人かいた。特筆すべきはスティーブ・ラッセルである。伝説的なプログラマーで、ダートマス大学数学科を中退し、MITのコンピュータ・プログラマーとして働いた。彼は、ジョン・マッカーシーの研究室に出入りしていた。1961年PDP-1上で「スペースウォー!」(宇宙戦争)というゲームのプログラムを書いた。この頃、ドック・スミスのSF小説『レンズマン・シリーズ』を読んでいたらしい。続いてスタンフォード大学に移り、PDP-6によるマルチユーザー・システムを開発していた。このとき「スペースウォー!」ゲームも一緒に移動したようだ。そしてスティーブ・ラッセルはCキューブドに引き抜かれた。

ポール・アレンがアセンブリ言語に興味を持っているのを知ると、スティーブ・ラッセルは、アセンブラのマニュアルを渡して「これを読むといいよ」と言ってくれたという。大喜びでポール・アレンは1週間かけて読んだが、行き詰まってしまった。

そこで「読んだのですが、分かりません」とポール・アレンが言うと、「じゃあ、これを読むといいよ」とスティーブ・ラッセルはシステム・リファレンス・マニュアルを渡してくれた。ポール・アレンは、また2週間かけて読んだが行き詰まってしまった。

「やっぱり、分かりません」とポール・アレンが言うと、「それならもう1冊マニュアルがあるよ」とスティーブ・ラッセルはオペレーティング・システム・マニュアルを渡してくれた。なにかジョークのような話である。

そうこうして苦労しながらも数カ月でポール・アレンはアセンブリ言語とアセンブラを身につけていったという。

1969年2月、PDP-10のTOPS-10のバグ探しが終了する日が来た。もう無料では使えない。レイクサイド・スクールはタイムシェアリング・サービスの契約先をCキューブドに変えた。今度は有料である。料金の請求書は毎月両親に送られる。咎められることはなかったけれど恐怖であった。

コンピュータの使用を禁止された

1969年の春、ビル・ゲイツとポール・アレンはCキューブドの管理者パスワードを突き止めた。これを使って、2人はレイクサイド・スクールからログインしてアカウント管理ファイルを見つけ出した。暗号化されていたので読めなかったが、その中に課金アカウント・ファイルもあるはずである。解読を試みたが、無料のアカウントが見つからないので、とりあえずアカウント管理ファイルを自分達のディレクトリにコピーした。

この件はすぐ発覚して、1969年5月、2人は少なくとも夏の終わりまではコンピュータの使用を禁止された。そこでビル・ゲイツは、しばらく読書に没頭した。愛読書は『ライ麦畑でつかまえて』だったが、ああいう繊細な主人公とビル・ゲイツの雰囲気は、どうも合わないような気がする。

ポール・アレンは、レイクサイド・スクールからCキューブドにアクセスできなくなったが、Cキューブドの無料アカウントを持っていたワシントン大学の教授のことを耳にした。春学期が終わるとポール・アレンはワシントン大学の電気工学科の建物に、夏の間毎日通った。そこにコンピュータ端末があった。ポール・アレンは不正規な手続きでコンピュータ端末からアクセスした。さらにマニュアルを熟読した。当時すでに身長が180センチあり、大人に見えたポール・アレンと違って、子供にしか見えないビル・ゲイツらほかの生徒をワシントン大学には連れては行けなかった。ビル・ゲイツは憤慨していたという。

1969年9月になって、2人の罪は許された。スティーブ・ラッセルは、ポール・アレンにPDP-10のBASICコンパイラの品質向上を依頼してきた。BASICコンパイラのソース・コードを読み、問題箇所を修正する仕事である。ポール・アレンはライン・エディタという編集プログラムを作って効率的に仕事を進めた。ところが、このCキューブドは1970年3月に倒産した。

ポール・アレン、ワシントン大学の「もぐり学生」に

ポール・アレンは、レイクサイド・スクールの最高学年になっても、放課後、ワシントン大学大学院のコンピュータ・サイエンス科の研究室に紛れ込んでいた。部屋に入るとマニュアルを手に取り、XDS(ゼロックス・データ・システム)のシグマ5タイムシェアリング・システムに接続されたテレタイプ端末の前に座り、ログインした。時折、大学院生が質問に来たりした。ある日、研究室の准教授に見つかったが、大学院生の力になってくれればという条件でアクセスを許された。

そこで天下御免となったポール・アレンは、バロースB5500、CDC6400、イムラックPDSー1などにも触れ、ALGOL言語も使ってみた。ポール・アレンはここで貪欲に知識を吸収した。

1970年3月にCキューブドが倒産した後、レイクサイド・スクールは、再びゼネラル・エレクトリックのタイムシェアリング・サービスと契約し直した。ただあまり魅力がなかった。その後レイクサイド・スクールは、まずDECのPDP-8Lを3カ月借り入れた。その後データゼネラルのNOVAを3カ月借り入れた。ビル・ゲイツはどちらの機種についてもBASICインタープリタを作ろうとしたが、間に合わなかった。ただこの経験は後々役に立つことになる。

ポートランドのISIとLPG

ビル・ゲイツ、ポール・アレンのグループは何とか良いコンピュータを自由に使える方策はないものかと暗中模索していた。彼らは大好きなPDP-10に何とかしてアクセスしたいと思った。

1970年秋、PDP-10をタイムシェアリング・サービスで提供しているオレゴン州ポートランドのインフォーメーション・サービス・インコーポレイテッド(ISI)が仕事の募集をしていることがレイクサイド・スクールまで伝わってきた。ISIの社長トム・マクレインは、レイクサイド・グループのことをCキューブドのディック・ウィルキンソンから聞いて知っていた。

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