笑福亭の十八番と言われる落語の1つに「三十石」がある。大師匠の六代目松鶴、その弟弟子の松之助(明石家さんまの師匠)、もちろん先代松喬なども得意にしていた。
今回、改めて七代目松喬の「三十石」を聞いて、笑福亭の衣鉢をよく継いでいると感銘を受けた。
「『三十石』は先代に習ったんですけど、船の客の描写が延々と続きますよね。スケッチ落語って上方落語の特徴でもありますが、ストーリーがわき道にそれて見えなくなる。今のお客さまというのは、筋まっすぐ行く話が好きなんですよ。だから『三十石』は、先代には申し訳ないですが、僕ができるだけ整理して、スケッチの部分をかなりカットしました。船中の客がお女中のことで延々と妄想する『のろ気』の部分に重きを置きました。だから聞きやすくなっていると思います」
筆者は、カットされたという印象はそれほどなかった。そういえば、6代目松鶴も、噺の構成をけっこう大胆に変えたものだ。そういう噺そのものを構築していく力も噺家には求められている。師匠の芸を唯々諾々と承るだけでは、いい噺家にはなれないのだ。
「先代松喬は、茫洋としていましたが、スケールが大きかった。僕も野太い落語をしたいですね。大阪見物に来たときには、あべのハルカスも見たい、海遊館も見たい、新しい御堂筋も歩きたいけど、やっぱり大阪城の大石垣も見てもらいたい。あの大きな蛸石も見てもらいたい。みたいな感じですね。
僕らの商売って同業者がほかの芸で売り出しても全然怖くない。タップダンスで大受けしても平気です。やっぱり紋付着て、高座でゆっくり話しだすことが、同業者にはいちばん怖い。 “あいつにあれやられたらかなわんなあ”って思うんですね。野球でいうたら、佐藤義則とか今井雄太郎が出てきただけで、もう今日はあかんかなって。村田兆治が出てきたときは福本豊さんが“今日はケガせんように帰ろう”と思うような感じですよね」
昭和のパ・リーグの野球選手の名前がたくさん出てきたが、若い読者各位には佐藤も今井も村田も「大エース」ということでご理解賜りたい。
14年ぶりに弟子が来た
客席の隅々まで届く朗々たる声、明朗快活な高座。気力体力充実して、まさに今が「旬」という印象だ。関西だけでなく、東京にも多くのファンがいる。柳家喬太郎との「二人会」は大人気だ。
七代目松喬には、喬若、喬介という2人の弟子がいる。2人とも一本立ちしているが、最近になって若者が「弟子にしてくれ」と言いに来た。
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