「シングルマザーが集う家」に行ってみた 子育てを「シェア」するという試み
日本の世帯は、確実に縮小に向かっている。高度経済成長期に台頭した「核家族世帯」と、近年増加している「単身世帯」の2つがその代表である。
「単身世帯」はもちろんのこと、「核家族世帯」も、家族の規模として適切なのだろうか。安心して子供を育て、次世代の労働力を再生産するには、これらの世帯は細かく分かれすぎてしまっているのではないだろうか。「核家族世帯」と「単独世帯」以外に広がる多様な選択肢の向こうに、孤立することの不安から逃れ、多様な縁を紡ぐヒントがあるのではないだろうか。
本連載では、多様な暮らし方の事例から「無縁社会」への対抗策を探る書籍『多縁社会』の筆者たちに、このような疑問に答えうる事例を紹介してもらう。
縁は子供を救えるか
かつての日本を振り返れば、普通の人々が地域ぐるみで子どもを育てるというのは自然なことだった。
子どもたちは、悪いことをすると近所のおじさんに叱られ、町内の優しいおばさんに世話や心配をしてもらいながら育っていた。試行錯誤しながら子育てに取り組む新米の親たちに、子育ての経験者である血縁・地縁のある人々が手を差し伸べるのも普通だった。
つまり「縁」が、自然な形で子どもたちを、また子育てを支えていたと言えるだろう。悩みを抱える親や子どもたちを、児童虐待といった悲惨な事態が起きないように守っていたのだ(もちろん、一方でそれは「わずらわしい」人間関係の元となってもいただろうが)。
今や土地やコミュニティ、親類縁者といった縁は、すっかり薄れたと言われる。しかし、その一方では新たな形で、縁を育む試みが始まっていることも確かだ。
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