パナソニック・中村邦夫という聖域 プラズマ敗戦の「必然」
“天皇”、そして“雲上人”--。これまでパナソニック社員などから耳にしてきた代表取締役会長、中村邦夫の別称である。
「松下幸之助の経営理念以外、聖域はない」--。2001年度の赤字決算に端を発した経営改革は業績を短期で急回復させ、世間は「破壊と創造の中村改革」ともてはやした。が、皮肉にも改革を推し進めた張本人が“聖域”と化した。06年からは会長の座に就き、社内外に向かって公にメッセージを発することは減ったが、その権勢は衰えることなく社内にとどろき続けてきた。
“雲上人”へと押し上げた過去の功績と威圧感
「なんだあれは」
11年のある夏の日、東京-新大阪間の新幹線で、中村はまゆをひそめた。車窓から垣間見えたのは岐阜羽島にある三洋電機の太陽光発電施設「ソーラーアーク」。太陽電池を敷き詰めた箱舟型の同施設の企業ロゴが「SANYO」のままになっていたことに不快感をあらわにしたのである。周囲は直ちに中村の意思をくみ取った。お盆休み前には、看板のロゴは「Panasonic」へ切り替わっていた。
同様に、昨年末に慌ただしく三洋電機本社(大阪府守口市)の看板ロゴがパナソニックに統一されたのも、中村の鶴の一声が発端といわれる。法人格としての三洋電機は当面存続し、三洋として継続する事業もそこに残る。本来は急ぎで統一する必要性は薄いが「会長の絶対的影響力を実感した」(三洋電機関係者)。
社長時代の輝かしい功績が威光となっているのは間違いない。累計2万人に及ぶ人員削減に国内外の拠点統廃合、事業部制の再編・効率化。矢継ぎ早の構造改革で営業利益率を一時5%台にまで戻した。