日テレ"敏腕P"がテレビマンを辞めた理由 三枝孝臣氏が描く、未来のメディアの理想像

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――その終わりの物悲しさは、日テレを退職すると決めた時に感じたものと同じですか。

違いますね。今回、日本テレビを辞める時に感じたのは「まだ好きだから続けたいけど、新しい挑戦をするなら今しかない」ということでした。

――最近はテレビ番組を見なくなった、テレビ局は面白い番組を作ることができなくなったという人もいます。

テレビ局の制作部門にいる人は、視聴者を向き、受けるものを作ろうと、とにかく真面目に作っていますよ。ただ、視聴者のテレビ番組の見方が変わる中で、どうやったら制作者の思いをコンテンツに乗せて届けることができるのか、この部分が難しくなっているように感じます。

たとえば、コント番組はできなくなりました。コントはフリがあって初めてオチで笑えます。ですが、今の視聴者はフリからオチまで待ってくれません。シリアスなストーリーで始まるフリの部分は笑えず、つまらないと感じる視聴者はフリの部分で番組から離脱し、チャンネルを変えてしまいます。

歌番組も難しい。かつては、新曲を聞くのはテレビ番組が最初でした。今はYouTubeを中心にネット上から拾い上げられる曲が多く、視聴者の好みは多様化し、どのような歌を番組で流せば見続けてもらえるのか、把握できなくなっています。

テレビは、コンテンツと視聴者との唯一の接触点ではなくなりました。視聴者はさまざまな選択肢の中から可処分時間を最も有効に使えるものを選びたいと考えていて、「テレビ番組に1時間渡すから楽しませてね」と思っています。

失敗したくないから、ソーシャルメディア上で信頼できる人が勧める面白いもの、レコメンド機能によって勧められるもの、つまり間違いがないものを選ぶ。提供側は、斬新なもの、極端に変わったものをサービスとして出しづらくなっています。

可処分時間を奪い合う時代

――放送免許という参入障壁に守られた放送事業は、番組の視聴率争い、つまりシェア争いの中で、番組編成をどうすれば勝てるか、どんな番組を制作すれば勝てるかを考えていればよかった。そこに可処分時間の奪い合いが始まり、既存マーケットの外側に獲りにいくことが必要になったわけですね。

そうかもしれません。ネット上に地上波放送のコンテンツをどんどん出してユーザーの可処分時間を獲りにいくのか。それとも、ネット上には出さず、テレビコンテンツの優位性を高めるのか。地上波放送のビジネスモデルをどのようにプランニングするのか、方向性を模索しているところだと思います。

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