日経平均が最高値の1989年はどんな年だったのか 「喪が明けた感覚」など2024年と「3つの共通点」

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しかし採用銘柄の1割以上を一気に替えたら、さすがに指標が歪んでしまった。認めたくないものだな。おのれ自身の若さゆえの過ちというものを。以上、いかにも日本社会らしい(山崎さんが怒りそうな)お話であった。

とまあ、その辺の事情はさておいて、日経平均が過去最高値に限りなく接近しつつある昨今、あの平成バブルがどんなものだったか、令和バブルとはどんな違いがあるのか、思い出してみるのも悪くはあるまい。

日経平均が最高値をつけた1989年とは?

思うに昔のことを覚えているのは、年寄りの特権である。とはいえ、それを鵜呑みにしないのが、若者の特権である。昔話を好む若者が、偉くなったなんて話は聞いたことがない。だが、ふんふんと聞き流していると、たまに1割くらいはためになる話があるものだ。

1989年1月6日は東京都内でもしんしんと雪が降っていたが、翌7日朝に昭和天皇は崩御され、8日から新年号「平成」が始まった。そのことは誰もがご存じかと思う。ただし以下のような話は、なかなか歴史には残らない。ゆえに若い人は心して読んでほしいと思うのだが、陛下の容体が悪化したその半年前くらいから、いろんな行事が「自粛」モードとなり、日本社会全体がどこか重苦しいムードに包まれていた。

株式市場にも異変が起きていた。紙パルプと印刷株が値上がりしていたのである。「元号が変わる」ことは、いろんな印刷物を変える必要があることを意味する。いわば市場は「改元特需」を当て込んで動いていた。ちなみに日本のメディアが西暦を多く使うようになったのは平成以降であり、それ以前は元号の使用が圧倒的に多かったのだ。

問題はこの株価の変化を、当時の報道機関が説明できなかったことである。「マーケットが陛下の死を先回りして動いている」とは、畏れ多くてどこも書けなかった。当時、株の専門紙の記者をしていた大学の後輩が、「仕方がないから『情報関連で買われている』と書いています」と言って笑っていたことを懐かしく思い出す。

日本という国は昔からそんなふうなのだ。「Xデー」の到来とともに、それまでのもやもやした雰囲気はスーッとなくなった。そして新聞の株式欄は、「改元需要」という記事を載せたが、紙パルプと印刷株はそこが高値となり、むしろ売られた。相場格言でいう「知ったら終い」というやつである。当時、投資の初心者であった筆者は、結局「見てるだけ」だったけれども、何か重要なことを教わったと感じたものである。

1989年はそんなふうに始まった。この年の4月1日から導入されたのが消費税である。当時は3%だったから、金額的にはそれほどでもなかったが、皆が怒ったのは財布の中で急増した1円玉の煩雑さである。数人でランチに行った際の割り勘など、面倒で仕方がない。ちなみにこのときは年商3000万円までの事業主は、消費税は免税であった。インボイス制の導入は、実に34年後のこととなる。

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