私がサマーコースの教鞭を執る新設の米インディアナ大学国際関係学院は、キャンパスの美しさで知られているが、今はガランとしてほとんど人がいない。
学生たちの多くは夏休みの数カ月の間、国内や海外の至る所に滞在している。インターンシップなどで働いたり、交換プログラムに参加したり、親族を訪問したりとさまざまだが、単純に楽しむために旅に出た者たちもいる。海外旅行は、彼らの教育や人生の岐路において、何よりも貴重な経験となるだろう。
広島旅行で心に誓ったこと
各地の洞察力に富んだ大学は、いかに世界が急速に変わりつつあるか十分に熟知しており、学生を責任ある地球市民の一員として育成するための、よりよい手段を探っている。学生たちが卒業までに外国や外国文化についての知識を身に付け、世界における相関性や相互依存を認識するよう、カリキュラムの国際化を図っている。また、可能なかぎり多くの学生たちが海外旅行をしたり、海外で学べるような機会を設けている。
私が海外の土を初めて踏んだのは、1960年代半ばの日本旅行のときだった。当時は格安航空券などなく、学生の団体は貨物船の船倉に乗っての旅だった。私は広島で見た光景を決して忘れることはないだろう。1945年の原爆投下により、かつて商業ビルの入り口であった御影石のブロックに、一瞬にして亡くなった人の影が永久に刻み付けられ残っていた。
その後、私は、この残虐で無差別的かつ非人道的な兵器を世界から廃絶することを目指し、時を問わずいかなることでも実行すると誓った。
広島への旅行後、英オックスフォード大学への留学に向かう途中で、アジアやアフリカ、中東の二十数カ国を回った私は、戦時下のベトナムに立ち寄った。サイゴンホテルはバックパッカーだった私にも手が届く値段だったが、ホテルはベッドで眠るのに適していなかった。廊下では、巨体の米国陸軍兵士が半裸のベトナム人女性をほうきの柄で打ち据え、鋭い叫び声が上がりたいへんな騒ぎが起こっていた。
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