創価学会を社会に適合させた池田大作の「孤独」 道化を演じて日本最大の宗教団体に育て上げた

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政教一致路線を隠しもせず、各種の選挙で当選を重ねる公明党に世間の警戒感が強まり、1960年代後半にはさまざまな創価学会批判本が発売された。そうしたバッシングへの対抗措置として、創価学会が批判本の流通に圧力をかけていた事実も明るみに出た。言論出版妨害事件である。1970年、池田氏はついに謝罪に追い込まれてしまった。

同時に池田氏は、今後は創価学会、公明党として政教一致路線を追求しているかのように受け取られる態度はとらないとも明言。その後の公明党は、仏教が説く弱者救済や争いの否定といった道徳観を一般の政策論に落とし込んで活動するという「政教分離」の姿勢を堅持するようになった。

池田氏が民間平和外交の旗手を自認し、世界中を訪ね歩いて政治家や文化人らと交流、勲章や名誉博士号などをもらっていたという事実を知る人は多いだろうが、そうした彼の行動はもっぱら1970年代以降のものである。

池田氏が1971年に設立した創価大学のホームページには「創立者 池田大作先生」というコーナーがあり、池田氏が海外の学術機関からもらった名誉学術称号の一覧が掲載されているが、1960年代以前の彼はそうした称号を1つももらっていない。

1970年を境に組織的性格を変えた

池田氏が民間外交活動のなかで歴史学者のアーノルド・トインビー氏や国際政治学者のヘンリー・キッシンジャー氏らと対談したことは広く知られているが、実のところ、そうした交流の中で池田氏は、彼らに仏教的な話を語って聞かせるようなことをあまりしていない。

「世界を歩く池田大作」の語り口は、一般的な国際政治学者が口にするような内容と大きな差はなく、こうした面でも1970年代以降の池田氏の「政教分離路線」が見て取れる(穏当な姿勢だったからこそ海外から各種の勲章などをもらうことができたのだろうが)。

また池田氏は、国内に向けては憲法9条擁護、核兵器廃絶といった「平和思想」を語り続けた。公明党の政治姿勢も池田氏の思想に少なからず規定され、現在に至るまで、改憲や安全保障政策の強化を目指す自民党との間で軋轢が起こる原因になっている。

ただ、池田氏の政治的発言は、結局のところ戦後民主主義的な微温的リベラル派の言説と大差なく、よくも悪くも「独自の仏教理論から社会と対峙する宗教指導者」といった風貌(戸田氏はそういう人物だった)は、1970年代以降の池田氏には希薄だった。

1970年を境にして創価学会はその組織的性格を大きく変えたのだ。

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