新自由主義の勃興と転換を促した9月の2つの事件 チリとアメリカ、同じ「9.11」に起きた史実の糸

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チリの首都サンチアゴには、リベルタドールというこの町を貫通する大通りがあり、そこに大統領官邸であるモデナ宮殿がある。9月11日、アジェンデはその大統領官邸で、他国に亡命することなく自殺を遂げる。そして多くの民衆も虐殺された。その多くは筆者と同じ世代の若者であった。そのときのアジェンデの言葉はこれだ。

「私は撤退しない! 数千人のチリの人々の高貴ある意識の中に、われわれがまいている種は、けっして埋もれることはないと、思う。人民よ、万歳! 労働者よ! 万歳! これが私の最後の言葉だ。きっと私の犠牲も無駄にはならないだろう」

 

ピノチェトはその後、17年もの間、大統領の座に座り続ける。ピノチェトの背後にアメリカがいたことは間違いない。

この混乱の中、ノーベル文学賞を受賞した詩人であり外交官、政治家だったパブロ・ネルーダ(1904~1973年)も亡くなる。彼は最後にこう書いている。

「われわれはこの血に飢えた大統領ニクソンを徹底して根こそぎに駆逐するつもりだ。ワシントンで彼がその鼻で息をしているかぎり、地球上で幸福な人間も、幸せに働ける人間もいないだろう」

新自由主義とその反動の時代

皮肉にもこの祈りは思わぬ形で実現する。ニクソンはその翌年の1974年、ウォーターゲート事件で大統領を辞任する。

1973年は西側資本主義国にとって社会主義政権に対する反抗の狼煙となる。ベトナムからは撤退したが、石油ショック以後にG7を立ち上げ、チリにはじめてシカゴ・ボーイズの新自由主義モデルが導入され、社会主義体制を破滅に追いやる戦略が練られる。シカゴ・ボーイズとは、シカゴ大学のミルトン・フリードマン(1912~2006年)を中心とする「シカゴ学派」のマネタリストたちの総称だ。

そしてそれから10年以上経った1989年から1991年にかけてソ連・東欧社会主義体制、ひいては冷戦体制は崩壊し、世界は西側勢力を中心とした新自由主義のグローバリゼーションが席巻する。

まさにチリの9月11日は、新自由主義の勝利という歴史的転換を象徴するクーデターだったのである。

しかし、28年後の2001年9月11日は、行き過ぎた新自由主義への反動によって起きた事件だったといえる。アメリカと西欧が世界をグローバル化によって支配していく中で、それによって不利益を被っていたもう1つの声なき世界が異議申し立てを行ったのである。イタリアの哲学者であるアントニオ・ネグリ(1933年~)は、彼らのことをマルチチュードと名付けた。

2019年3月、私はチリ大学を訪問した。あちこちに立て看が並び、学生がマイクをもって声を張り上げていた。それは、私の学生時代1970年前後の日本を見るかのようであった。

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