「自分らしい逝き方」選んだ81歳祖母が見せた最期 死から目をそらさず、人生に句読点を打つ強さ

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看護師である美春も補足した。

「病院では亡くなる場合、ご家族にゆっくりと死を悼(いた)んでいただく余裕がないことが、とくにこのコロナ禍においては多くなりました」

患者が亡くなると周りに気づかれないように、看護師たちは遺体を30分ほどで手早くきれいに整えて霊安室にひとまず安置する。一方で遺族には葬儀社を早く手配するように求める。あるいは家族に事前確認をとり、葬儀社の人に遺体を病室からじかに葬儀場へ搬出させることもある。

病院関係者だけを悪者扱いしても仕方ない。物事の価値を「効率/非効率」ではかるようになった私たちから伸びる影の一つだ。

千恵が肺がん手術を拒んだ理由

千恵の主な病歴は50代から始まった。すい臓に腫瘍が見つかって受けた手術で合併症をおこし、再手術を余儀なくされた。良性腫瘍だったが、術後の約7年間は原因不明の下血に苦しんだ。

それでも家事や散歩で体力を徐々に取り戻し、60代になって始めたのが登山。低山から始め、国内有数の槍ヶ岳の登頂も成功させた。

その前年に同じ北アルプスの燕岳 (標高2763m)への登頂を果たした千恵は、素晴らしい雲海を眼下にしてふいに大号泣していたらしい。69歳のときだ。

(写真:塩内さん提供)

登山仲間によると、「1回死にかけたのに、こんな素晴らしい景色を見られる人生が、私にはまだあったんだ……」と、感極まっていたらしい。その隣に屹立する槍ヶ岳を見上げて、「私は来年絶対にあの山に登る!」と宣言したという。

翌年、その夢を見事にかなえてみせた。

しかし、70代後半の2018年には大腸、2019年は肝臓、2020年は肺と、相次いでがんが見つかる。それでも千恵は食事の量や内容、散歩の距離などを日々微調整しながら体力を保ち、好きな登山をこつこつと続けた。

大腸がんは切除。肝臓がんは放射線治療を行った。

だが、最後に見つかった肺がんの切除は拒んだ。それは50代から繰り返した手術への嫌悪感と、槍ヶ岳をはじめ、大好きな登山を自分なりにやり切った達成感があったのかもしれない、と姉妹は話す。

美春の話だと、終末期に体力が衰えると肛門周りの筋力も低下。トイレに行くまで我慢できずに介護用オムツを汚すことになる。だが、千恵は一切なかった。

「亡くなる2日前まで介助されながらトイレに行った母は、稀少なケースだと思います。60代から始めた登山に晩年まで情熱を燃やし、日々の散歩などで足腰の鍛錬に努めた賜物(たまもの)ではないでしょうか」(美春)

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