NHK柳澤さん、「後藤さんとの思い出」を語る 後藤健二さんの死がテレビに遺したもの

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後藤君は被写体を通して見えてくる現実と、常に「会話」しているような感じでした。僕らがドキュメンタリーを撮ったり、取材する時には被写体と少し距離を置いて、わりと客観的に、ある意味「冷たく」撮っている。でも彼の場合には撮っている被写体との間でいつの間にか「会話」が始まっている感じがある。つまり、単にそれを記録することを超えて、訴えかけてくるものを自分の中にも取り込んで、もう一回キャッチボールをしながら、それを第三者に伝えるという姿勢がありました。

柳澤秀夫(やなぎさわひでお)●NHK解説委員。1953年、福島県出身。国際部記者として20年間、バンコク、マニラ、カイロなどで紛争地域を取材。2002年から解説委員。趣味はアマチュア無線

イラク戦争で、彼はサダム・フセインの生まれ故郷のティクリートが主戦場になった時にかなり前線まで入った。車で移動中にアメリカ軍が襲撃された現場に遭遇し、車を降りてカメラを回し始めたんです。映像を見るとその直後、アメリカ兵が彼に銃口を向けて、地面にひれ伏すよう命じたんですが、彼はアメリカ兵に向かって「I am Japanese Press. I am Kenji Goto.」と言ったんです。

それに対してアメリカ兵が手を振って、「No Press!」と叫んで、最後は後藤君が「わかった、わかった」とその場を離れるんですけど、そのシーンは、撃たれるかもしれない緊迫した状況を捉えたすごい映像だった。後藤君の映像で一番、記憶にあるのがそのシーンですが、そういうことも含めてイラクで何が起きているかについて、彼は深く知り得たし、それを映像を通じて伝えたかったと思います。

──取材対象と「会話」しながら撮る、というのは具体的にはどのようなことでしょうか?

後藤君は、バグダッドの市内で戦闘に巻き込まれて亡くなった息子の遺体を埋葬することができなくて、自分の家の中に埋めなきゃいけないという家のお父さんをカメラで撮影しながら会話をするんですよね。

そういう時に僕らは普通、顔を真正面から撮って、なぜこうなったのかという説明を求める聞き方になるんですけど、そうじゃないんですよね。被写体として映っているお父さんの気持ちに入っていくように、回り込みながら、同じ目線に立って、何が起きているのか撮るという。その時の彼は、普通のジャーナリストやカメラマンが記録する以上のことを実践していたような気がするんです。それは僕らができるようでできないことで、一種、彼のやさしさだったと思います。

「戦場ジャーナリスト」と呼ばれること

彼はよく「戦場ジャーナリスト」と言われることは嫌っていたと聞きました。たしかに修羅場をくぐっていますから、後藤君のこれまでの経験、経歴を考えると、本当に前線を走るフリーランスのジャーナリストだと思うけど、彼自身はそれでいながら、いさましいフロントのドンパチや、爆弾が落ちてるところを逃げ惑うような状況を伝えるよりも、それがいったい何を引き起こしているのかというところに軸足を置いていた。

つまり、戦争で一番つらい思いをするのは誰なんだ、それを伝えるのが自分たちの仕事だ、と思っていたのではないかと思います。僕自身もまったく同感で、前線の銃撃戦や爆弾、ミサイルが炸裂するところを取材したり、そこで自分がリポートするみたいなことは、それは必要な部分なのかもしれないけれど、一番重要なのは「それで何が起きているか」ということ。それを彼は一番伝えたかったと思う。それを考えると胸がつまっちゃいますけどね。

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