超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義 「向米一辺倒にならない」外交への転換なるか

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ジャーナリストであった石橋湛山が記したものの中に、「一切を棄つるの覚悟」で貿易立国として生きよというものがある。

第1次世界大戦が始まった1914年、「青島は断じて領有すべからず」という論考の中で、湛山は「アジア大陸に領土を拡張すべからず、満州も宜しく早きにおよんでこれを放棄すべし」と主張した。青島領有は中国の恨みと欧米列強の警戒心を招き、「決して東洋の平和を増進する所以にあらずして、かえって形勢を切迫に道くものにあらずや」と訴えている。このままでは米英との衝突を回避できなくなると予期していたのである。

この年、日本はドイツに宣戦布告して青島を占領した。翌1915年の「対華21カ条要求」では、山東省におけるドイツ権益の継承を認めさせようとする。1919年のパリ講和会議では日中双方の主張が折り合わず、五・四運動と呼ばれる抗日運動へとつながっていく。そこに欧米列強が横やりを入れることで、山東問題は国際問題へと発展した。

貿易立国として生きる

1921年、日本の勢力拡大を抑制したいアメリカの思惑から、日本はワシントン会議に引っ張り出された。この時期、湛山が書き連ねたのが「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」である。日本は植民地を放棄して貿易立国として生きてゆくべきであると繰り返し主張したのだ。

石橋湛山研究会の共同代表に就いた古川元久氏は「湛山が主張したように、日本が覇権主義を取らなければ英米との衝突を回避できていたのではないか」と言う。戦後、海外に領土を持たない日本が貿易立国として見事に復活を遂げたことをみれば、湛山の主張は間違っていなかったといえよう。

太平洋戦争の敗戦後、ジャーナリストから政治家に転身した湛山は、1956年の自民党総裁選に立候補。アメリカ追従路線の岸信介(安倍晋三元首相の祖父)との接戦を辛くも制し、内閣総理大臣に就任した。湛山のスタンスは、アメリカは重要な同盟国ではあるが日本の外交・安全保障のすべてがアメリカの意向に左右されてはならないというものだった。

1956年に発足した石橋湛山内閣。最前列中央が石橋湛山。最前列の(向かって)左端が岸信介。(写真:東洋経済新報社)

石橋湛山研究会の幹事長に就いた古川禎久氏は「湛山は『アメリカに従っているだけでは日米両国のためによくない。アメリカと提携はするが、向米一辺倒にはならない』ということを強調した。日本はアメリカに対しても、言うべきことを言わなければならない」と語る。

アメリカは自国の価値観を至上のものとして「民主主義か専制主義か」という二項対立を世界に持ち込む。自由や民主主義を掲げつつ「衣の下から鎧が見える」ような外交を展開する。こうしたやり方では賛同者が増えないことを、日本こそがアメリカに伝えるべきである。それが日米関係の深化につながるはずだ。

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