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石橋湛山の「ナショナリズム」をめぐる葛藤① 共立女子大学准教授・上田美和氏インタビュー

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石橋湛山は生涯をかけて言論と行動の一致を目指した。

共立女子大学准教授 上田美和氏
上田美和(うえだ・みわ)/共立女子大学准教授。1973年神奈川県生まれ。英オックスフォード大学大学院を経て早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程史学(日本史)専攻単位取得。著書に『自由主義は戦争を止められるのか―芦田均・清沢洌・石橋湛山』、『石橋湛山論―言論と行動』など

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今年6月、政界に超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」が発足した。死去から半世紀が経ったにもかかわらず、その主張や生き方に学ぼうとする動きが起こるのはなぜなのか。
『週刊東洋経済』11月18日号の創刊記念号特集は「今なぜ石橋湛山か」。豊富なインタビューや寄稿を基に湛山の軌跡を振り返る。
『週刊東洋経済 2023年11/18特大号(絶望の中国ビジネス)[雑誌]』(東洋経済新報社)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

石橋湛山は、自己(自国)の自立と他者(他国)への寛容は両立できると信じる人だった。互いに自立して商売をすれば互恵(win-win)の関係を築けるのだという信頼が、小日本主義にも通底していた。

だが、この論理には「戦争状態でなければ」という前提がつく。戦時期の湛山はこの前提が外れてしまう厳しい現実に直面する。

植民地放棄を唱えた1921年の社説「一切を棄(す)つるの覚悟」を書いた頃の湛山は「排日は国民意識の覚醒を表示するもの」と述べ、中国の排日運動をナショナリズムの覚醒と捉えた。日本も明治維新で近代国家を築くのに苦難を伴った。国土の広い中国で混乱が生じるのは新国家の「生みの苦しみ」であると寛容を呼びかけたのだ。

植民地領有を容認するように

ところが満州事変後の上海事変(32年)が起きた頃から「残念ながら支那人には果して自国を統治する能力あるやが疑われないでもない」と疑念を示し始める。満州国についても「既にここまで乗りかかった船なれば、今更棄て去るわけには行かぬ」と傀儡(かいらい)国家の存在を受け入れるようになった。

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