エーザイ、熱帯病の治療薬で「7兆円価値」の真価 ESG活動の効果「見える化」に渦巻く期待と不安

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そこで柳氏はさらなる計算に取り組んだ。例えば、治療薬の大量生産によってインドの工場で働く従業員のスキルが上がり、生産性が向上したと分析。現地の人々の健康に貢献しているという従業員のモチベーションにもつながり、離職率が事業開始後に低下したという。

工場ではアメリカ基準の製造許可もとり、同じ工場で生産しているさまざまな薬を、人件費の安いインドから先進国に輸出するスキームを確立させた。治療薬の無償提供の事業が従業員の研修費用削減や原価低減などにつながった結果、同事業が管理会計上、2018年時点で黒字化したことがわかった。

柳氏は「当初の見込みより早く(会計上での)よい効果が出たうえ、管理会計上黒字という事実は、それまでの説明と重みが違う」と振り返る。世界最大の資産運用会社であるアメリカのブラックロックやウエリントン、日興アセットマネジメントなど、エーザイの主要な機関投資家は、これらの開示された研究結果を支持しているという。

元エーザイCFOの柳良平氏
エーザイのCFO時代、同社のESG活動が与える影響の可視化に注力した柳氏。写真は2021年(撮影:今井康一)

もっとも、ESGの取り組みをここまで見える化させた今なお、市場の評価が十分得られたとは言いがたい。

エーザイの現在の株価は約7500円。昨秋に認知症の新薬「レカネマブ」の最終治験結果を発表して以降は9000円を超えていたが、2023年に入ってから8000円を割り込む状態が続いている。

PBRは約2.8倍で、LF治療薬の事業を始めたおよそ10年前の水準と比べると上がってはいる。とはいえ同業の第一三共は6倍超、中外製薬は4倍近くあり、同社に対する市場の評価が必ずしもずば抜けているわけではない。

エーザイの機関投資家である三菱UFJ信託銀行のチーフアナリスト兼チーフファンドマネジャーの兵庫真一郎氏は「試みとしては高く評価するが、他の大手製薬企業も同じ基準で開示しなければ比較が難しく、株価には織り込みづらい」と指摘する。

株価を左右する認知症薬の行方

国内の同業では、武田薬品工業やアステラス製薬なども、ESG活動を積極的に推し進めている。ただ、インパクト会計を開示している企業はまだない。

試算にはさまざまな社内データや客観的根拠に基づいた分析が必要で、人的・時間的コストが足かせとなる。アステラスの飯野伸吾サステナビリティ部門長は「可視化については検討しているが、まだクリアな計画はない」と話す。

さらに機関投資家はまず、将来の収益源となる開発品の進捗によって製薬企業を評価する。エーザイの場合、多くの投資家が注視しているのはレカネマブの行方だ。約20年ぶりの新たな認知症薬として、現在はアメリカやヨーロッパ、日本で承認申請の結果待ちの状態にある。

エーザイはレカネマブに限らず、研究開発費用の多くを重点領域である認知症治療薬に注いできた。過去数年を振り返ると、開発中の認知症薬の進捗によって、同社の株価は大きく上下している。三菱UFJ信託銀行の兵庫氏は「ESGの取り組みと、本業の関係性が強いことが重要だ。エーザイの場合、認知症治療薬で社会的な課題を解決できれば、最も価値がある」と指摘する。

本業で収益を上げてこそ、持続的なESG活動も可能となる。新たな認知症薬が軌道に乗った先で、エーザイの企業価値は一段と高まる可能性を秘めている。

兵頭 輝夏 東洋経済 記者

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ひょうどう きか / Kika Hyodo

愛媛県出身。東京外国語大学で中東地域を専攻。2019年東洋経済新報社入社、飲料・食品業界を取材し「ストロング系チューハイの是非」「ビジネスと人権」などの特集を担当。現在は製薬、医療業界を取材中。

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