黒田日銀がバズーカから10年で行き着いた最果て 目標未達ゆえに転進を重ねても長持ちした皮肉

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2013年4月4日、黒田東彦日銀総裁は”異次元”金融緩和を打ち出した。4月8日に任期を終え、植田和男新総裁にバトンタッチする。この10年の金融政策とはいったい何だったのか。

黒田東彦日銀総裁
(左)2013年4月4日の会見で「2」を並べた黒田総裁(撮影・尾形 文繁)/(右)2023年3月10日、最後の会見に臨んだ(写真・Bloomberg)

3月10日、黒田東彦日銀総裁にとって最後の金融政策決定会合が現状維持で終わった。「異次元緩和」から10年。黒田体制の「金融政策の大実験」(白川方明前総裁、IMFへの寄稿)は、2%の物価目標を達成できず、残念ながら失敗に終わった。

この間の政策運営は、失敗を糊塗する弥縫(びほう)策に終始したが、黒田総裁は「成功」と評し、最後まで失敗を認めることはなかった。

改めて黒田体制の発足経緯と政策運営の軌跡を振り返ったうえで総括を行ってみたい。

鮮烈デビューに”バズーカ”と賞賛

2013年、当時の安倍晋三首相(故人)の強い意向を受けて黒田総裁は誕生した。「低インフレは『デフレ』という悪い経済状況である」、そして「デフレは貨幣現象で、金融政策だけで脱却できる」というリフレ思想。これが安倍首相の金融政策観であり、黒田体制はその実行役となった。

デビュー戦は鮮烈だった。2013年4月、「2年で物価を2%にする」、そのために「ベースマネーや国債などを2年で2倍に拡大する」。「2」の数字を並べたパネルを表示して会見に臨んだ黒田総裁。金融市場は、異次元の緩和を「黒田バズーカ」とはやした。

幸運にも、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)が正常化を目指す過程と重なり、円安・株高が急速に進んだ。これに沿って物価も上がり始め、「ついにデフレから脱却できるかもしれない」と予感させた。

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