50歳がんで逝った妻が残した3年間の闘いの記録 夫が「亡き妻の音源」を使って発信を続ける理由

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<医者の口から言われると、インパクトがあるものだ。家に帰って、旦那と次男三男の前で初めてわんわん泣いてしまった。旦那ごめん。息子達ごめん。でも。私が悲しいということを知って悲しんでくれる人がいる。家族、友達。だから今はちょっともう少しメソメソするし、これからもするかもしれないけど、基本的には、今後は悲観的になって泣いたりないようにします(^_^)v>
(2011年12月21日「がんばる人で2年、だって。でも負けませんよ~だ」)

転移したがんの治療はとりわけ手足の副作用に苦しめられた。手足が赤く腫れて皮膚が薄くなり、歩くのにもタイピングするのにも支障を来すようになる。その症状を耐えぬいた化学療法だったが、症状を改善するために転院した病院で精密検査すると肝臓の腫瘍が大きくなっていることがわかった。

絶望の連続。動揺もするし恐怖も感じる。そうした心の揺らぎを描写してもなお、しーらさんの文章は抑制を失わなかった。混乱や負の感情をそのまま読者にぶつけることはせず、自分で飲み込んだうえで過去の感情の記録として読ませる。

<身体が辛くなると、どうしてもポジティブにはなれない。大阪オフ参加とか、友達の発表会とか、楽しいことが待っているのに、気分はどんより。思い切り旦那にやつあたり。もうすぐ死ぬんだから、とかなんとか言いまくってしまった。CTの結果が怖いせいもある。でも、薬を飲まないでいるあいだに良くなっていくと信じてる。楽しいことも、予定どおり楽しめると信じてる。>
(2012年10月15日「TS-1でも手足症候群」)

心の内側は大いに揺れている。けれど、強固な理性で制御された外殻がそのまま表に出すことを防いでいる。2012年秋から翌年春にかけて、そんな苦しい攻防をのぞかせる文面が増えていった。

「けど今はまだ、奇跡が起きるという希望を持っていたい」

希望は外の世界にある「楽しいこと」だ。引き続きオフ会に参加するため大阪や名古屋へも足を運んだし、年の瀬には家族5人で秩父に1泊旅行に出かけもした。夫が東京ドームのイベントでライブ演奏したのをきっかけに、学生時代に軽音サークルで打ち込んだバンド熱が再燃し、軽音サークルのOB会で3曲の演奏に参加したりもした。転院先の新たな主治医からやりたいことを尋ねられたときは、「年末にまた同窓会でバンドをやりたい、友達に会いにヨーロッパに行きたい」と答えている。

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