非モテが「男女平等なんて夢」と暴れ回る切実事情 世界中で問題になっているインセルとは何か

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インセル的な反逆の暴力は、一部の極端な大量殺人者たちだけの問題ではない。たとえば精神科医の熊代亨によれば、「何者かになりたい」「何者にもなれない」と深く悩んだ人々が、新しい生き方や稼ぎ方を体現するかにみえるインフルエンサー(影響力の大きい人)のオンラインサロンにハマっていく(「『何者かになりたい人々』が、ビジネスと政治の『食い物』にされまくっている悲しい現実」『現代ビジネス』)。

ところが、そこで本当に実用的な技能やコネを得られる人間は、あくまでもごく少数で、多くの人々は「有名な○○の身内である自分」という一時的な高揚感を得られるだけだという。それほどまでに「何者にもなれない」というアイデンティティの空洞は深い。

どんなに地道に働き真面目に生きたとしても、給与面はもとより、社会からの正当な評価や承認を得られず、切り捨てのような扱いを受けるだけではないか。だとしたら、チート(ズル)で楽な生き方をした方が合理的だろう。オンラインサロンにハマる人々の背後には、そうしたニヒリズムがある。

地道な成長も努力も不要な「論破」

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あるいはいわゆる「論破」も、インセルにとっての暴力のように、持たざるものたちの武器であり、リベラルエリート社会に対する叛逆という側面があるのかもしれない。

論破とは、たとえ教養や知性がなくても、ある種の話法と自己暗示さえあれば、文化人や年長者に「勝利」できる、というテクニックのことだからだ。

重要なのは、他者の「論破」のためには、地道な成長も努力も不要である、ということだ。だからこそ、論破という叛逆は、生まれたときから何かを奪われている者、努力も成長も望めない者たちにとっての、チートな武器になりうるのである。

杉田 俊介 批評家

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すぎた しゅんすけ / Shunsuke Sugita

1975年、神奈川県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。文芸誌・思想誌などさまざまな媒体で文学、アニメ、マンガなどの批評活動を展開し、作品の核心をつく読解で高い評価を受ける。著書に『宮崎駿論』(NHKブックス)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(作品社)、『長渕剛論』(毎日新聞出版)、『無能力批評』(大月書店)、『非モテの品格』(集英社新書)などがある。

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