東芝を大ピンチから救った、ある社員の物語 「草の根」ロビイングが会社の運命を変えた!

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角家:日本は福田赳夫が総理大臣、米国はジミー・カーターが大統領のとき、日本のカラーテレビ輸出の数量規制を米国から強要されたわけです。品質のよい日本製のテレビがあまりにも米国で売れすぎて、このままでは米国のテレビメーカーが潰れてしまう。

カーターさんも再選を目指していたので、米国の電器メーカーを潰さないために、福田赳夫との首脳会談で、「昨年の輸出数量を上回って輸出することはまかりならん。どうしても昨年の数量より多く輸出したいならば、米国に工場を造れ」ということになった。

桑島:首脳同士の話し合いで突然決まったわけですね。それが1975年。

角家:当時の通産省、今の経産省からいきなり各社の社長宛てに指示が出て、みんな慌てて米国に製造工場を造らざるをえなくなりました。

それまでの日本企業は、商社もメーカーもモノを売るだけ。海外に工場を持つといえばフィリピンやインド、変わったところでイランあたりがせいぜいで、米国やヨーロッパなどの先進国に、日本企業の工場は存在しなかった。でもどうしても米国にテレビの工場を造らなくてはならなくなって、急きょプロジェクトチームが立ち上がるわけです。

戦争に負けた国のどこに、工場を作るか

総務から誰かひとり欲しいとの要請があり、私もプロジェクトに加わりました。仕事には労使対応もありました。当時の米国は従業員の組合が強くて、時に経営を圧迫するほどだったのです。米国の中西部、デトロイト周辺の自動車会社が左前になったのは、年金や健康保険の企業負担が原因のひとつだと言われています。だからわれわれは組合の力が強くない地域を候補地として探しました。

また、工場を造るとなると地方政府が提供してくれるインセンティブが重要です。税金を優遇してくれるとか、職業訓練の費用を地元の市町村が負担してくれるとか。そういうことを交渉するには、輸出部より総務部の人間のほうがいいだろうということで選ばれました。

桑島:工場の場所を決めるにあたっては、いろいろあったとか。

角家:実は西海岸にほとんど決まりかけていたんですよ。日本人コミュニティがあるから子供の教育にも困らないし、物流も便利だし、採用できそうなエンジニアも多い。ほぼ決定というとき、岩田弐夫(かずお)という社長が役員会でこう聞いたんですね。

「西海岸に最終決定する前に質問がある。候補地を15カ所くらい回って、その中でいちばん真剣に東芝に来てほしいと頼んでいたのはどこだ」

でも今から選び直すとなると面倒なことになるので、部長クラスも「特にどこがどうということはありませんね」「どこも同じでした」と口裏を合わせている。私が思わず発言しようとして手を挙げたら、上司に、「角家、黙ってろ」と制された。上司が、「この男は何もわかっていませんから……」とごまかしたけれど、社長も、「いや、若い人の意見を聞きたい」と言って譲らない。じゃあ、ということで、「それはテネシー州のナッシュビルです」と言ってしまいました。

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