元外資系証券のイギリス人有名アナリストが、370年続く伝統工芸を守る老舗企業の社長になる。映画のようなストーリーですが、本当の話です。そして、ここから学ぶべきことがたくさんあります。
私たちは、「日本の伝統は守るべきもの」とか、「職人さんは伝統工芸を守るために、皆、必死になっている」という固定観念を持っていませんか?
もちろん、日本の伝統文化にも伝統工芸にも、次世代に残していくべき素晴らしいものはたくさんあります。しかしながら、すべてを正しいものとしてひとくくりに語るのは、とても危険です。当たり前ですが、伝統工芸であっても、社会に必要とされていなければ消えていきますし、やるべきことをやらずにただ作るだけでは価値はなくなっていきます。
今日ご紹介するのは、元ゴールドマンサックス証券のトップ銀行アナリストから、神社・寺院などの文化財修復・施工業の漆塗りや彩色、錺金具の業界最大手である小西美術工芸の代表取締役社長へと異色の転身をした、デービット・アトキンソンさんのお話です。私たちの固定観念を壊してくれます。
職人の世界は聖地だと思っていたが……
「長く金融の世界で戦ってきたこともあり、前職のゴールドマン・サックスを辞めた時には、3年くらい休もうと思っていました。そこで出会ったのが、小西美術工芸の先代社長。経営的に厳しい状況だっただけでなく、話を聞いていくうちに、現場の職人が置かれている環境もおかしいのでは?と思うことがありました。そこで、今まで金融の世界で戦ってきた人間としてできることがあるんじゃないかと思い、関わり始めたのです。そして、先代社長と話し、私が社長となって経営を引き継ぐことになったのです」
アトキンソンさんは、最初から日本の伝統技術に関わる仕事に就いていたわけではありません。日本で長く銀行セクターのトップアナリストとして活躍していました。1990~2000年代にかけて、不良債権問題に鋭く切り込んだアナリストとしてアトキンソンさんの名前を知っている人も多いかもしれません。
そんなアトキンソンさんがこの業界に入ったきっかけは、裏千家から茶名を受けるまで茶道に造詣が深く、日本文化に強い興味があったということと、偶然、軽井沢の別荘の隣に小西美術工芸の先代社長が住んでいたことでした。そして、アトキンソンさんも当初は、日本の伝統を守る老舗企業ととらえ、職人の高い意識と技術を期待して社長になったのです。
「職人の世界は聖地だと思っていました。しかし、自分が経営者として参画した時には、小西美術工芸は業界最大手にも関わらず、経営から品質までさまざまな問題がありました。だから、自分が必要とされたのだと思います。そして、自分が改革しようとした時には、特に年配の職人からものすごい反発がありました。国の予算がないから、業界が疲弊している。いい仕事をしても、でたらめな仕事をしても同じ給料をもらえるし、誰も見ていない。いい仕事をしても無駄だ、だから手抜きでいいという風潮もあったのです」
小西美術工芸は1636年創業で、日光東照宮を作った際に全国から集まった職人の中から、日光に残った職人が設立した会社です。現在では全国の建造物漆塗のシェア40%を占める文化財修復業の最大手となっています。そんな会社であっても、アトキンソンさんが来た当初は、手抜き工事があったわけです。
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