親父からは五つの“家訓”を教わった 岡野工業株式会社社長・岡野雅行氏④

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おかの・まさゆき 1933年東京都墨田区生まれ。45年向島更正国民学校を卒業後、家業の金型工場を手伝う。72年に父親から家業を継ぎ、岡野工業株式会社を設立し、代表に。「技術的に難しくて誰にもできない仕事をする」をモットーに、「痛くない注射針」などを開発。旭日双光章など受賞多数。

会社は大きくしない、というのが俺の考えだ。これは親父からの遺言でもある。

親父からは五つの“家訓”を教わった。「国は信用するな」「銀行は信用するな」「保険は入るな」「人の保証人になるな」。そして「会社はデカくするな」の五つだ。これを親父からよく聞かされたのは18、19歳の頃。親父にはさんざん逆らったが、この五つは60年近く守っている。

親父の世代は、第2次世界大戦後の預金封鎖と新円切り替えで、おカネが紙くずになったという悔しい経験がある。職人としてコツコツ働いて銀行に貯めたおカネが、ある日突然、1カ月に世帯主300円、家族一人100円までしか引き出せなくなった。一方的に政府に召し上げられたようなものだ。

社長に必要な先を見通す目と、困難な仕事を実現する腕

年を取ってから住もうと買った土地も、不在地主だからと、ただ同然で取られた。保険も、火事になったとき、柱が1本残っているからと、何割かしか払ってくれなかった。だから「国や金融機関は金輪際、信用しない」と強い不信感を持った。当然だと思う。

最後の「会社は大きくするな」というのもよくわかる。一度デカくすると、小さくするのは大変だ。世間体もみっともない。これを金科玉条にやってきたから、バブルのときも、銀行から「お願いですからおカネを借りてください」と日参されても、絶対に借りなかった。株の儲け話を持ち込まれても、「儲ける話は一人でこっそりやるものだ。儲かるのなら、あんたが自分でやればいい。俺は絶対やらない」と突っぱねた。

それに俺は職人だ。今のウチの技術力があれば、すぐに従業員100人ぐらいの会社になる。でも100人の会社にしたら、その管理に追われてしまう。それが嫌なんだ。俺は計算屋じゃない。自分でものづくりがしたいんだ。

 俺から言わせれば、最近の社長はおカネの計算ばっかりやっている。それが気に入らない。カネの計算から入る人間がトップに立ったら、会社は間違いなくおかしくなる。社長が「蛍光灯は消せ」「コピーは節約しろ」などと言い、採算ばかり考えているから、今、仕事がどんどん減ってしまっているんだ。

俺は、5年先、10年先、こんな仕事が必要になっている、と考えて仕事をしている。いろいろなところから「こんなものを作れないか」と相談に来るから、今後こう変わるというのが想像できる。どれも難しいことばかりだが、それをやるのが面白い。社長に必要なのは、先を見通す目と、困難な仕事を実現する腕だ。

週刊東洋経済編集部
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