石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ「積極財政」論 「生産力強化」がコロナ危機で求められる理由

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縮小

しかし、その中でも最大の原因は、やはり、戦争による生産力の破壊がもたらした供給不足である。この場合、低い供給力に合わせて需要を引き下げれば、理論的にはインフレは収まる。しかし、需要の縮小は生活水準の著しい低下を招いてしまう。そこで、下村は「実際の生活水準を落とすのではなく、生産力を高めて生活水準に適合させていくというのが現実的な方策」であると考えた。

当時、大蔵大臣であった石橋湛山も同じ考えであった。インフレの原因は需要過多ではなく、供給過少にあると診断した石橋蔵相は、政府の資金を生産部門に投入して、供給力を増強しようとした。石橋の積極的な財政金融政策は、需要増によるインフレという弊害はあるものの、生産力を強化するものであるとして、下村はこれを支持したのであった。

「生産増強以外にインフレ収束の途はない」

他方、下村は、緊縮財政によってインフレを克服しようというドッジ・ラインに対しては否定的であった。というのも、そもそもドッジが着任する以前に、すでにインフレは収束に向かっていたのだ。

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この経験から、下村は、インフレというものは「どうにもならないんじゃなくて、おさめるための努力を本気でやっておれば、それはうまくいく」という教訓を得た。そして「生産増強以外にインフレ収束の途はない」と悟った。

つまり、歳出削減や増税によって需要を削減するのではなく、むしろ積極財政によって供給力を増強し、実体経済の需給不均衡を解消するのが、正しいインフレ対策だということだ。

今日、多くの経済学者がインフレを恐れて財政支出の抑制を説いている。しかし、緊縮財政による需要不足のせいで、民間の設備投資が減退し、さらに倒産や失業が増大すれば日本経済の生産力は弱体化する。とくに、現下のコロナ危機は生産力の弱体化をもたらしつつある。

そうなると、日本経済は、中長期的には、供給力不足が顕在化して、かえって高インフレに苦しむこととなろう。

したがって、財政政策は、次のように考えなければならない。

デフレ(需要不足)である現在は、積極的な財政支出によって政府投資を拡大し、需要を拡大し、デフレから脱却する。

デフレからインフレに転ずれば、民間投資も増える。

そして、その政府投資や民間投資は、中長期的には、社会インフラや生産設備となって供給力を増大させる。

これが将来のインフレの高進を防ぐのである。

要するに、本気でインフレを恐れているならば、むしろ財政赤字を拡大すべきだということだ。

中野 剛志 評論家

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なかの たけし / Takeshi Nakano

1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『奇跡の社会科学』(PHP新書)などがある。

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