コロナが暴いた「この人は無理」という人間性 「元の世界」に満ちていた不正や欺瞞が露呈した

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近年、人の尊厳を保つのに必要とされる信頼関係やコミュニティーといったソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の重要性に関心が注がれている。コロナ禍がそれらの再考を迫る強力な刺激剤となっている以上、引き続き既存の所属組織や人間関係を疑問視する人々が増加することは必定といえる。

「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」というシンプルかつ重大な啓示は、「厳正な眼差し」となって自他の言動――電車でたまたま隣り合った人から一国の首相に至るまで――の道義性を見極めようとする。現にもうそのような傾向が少なからず定着しつつある。

わかりやすく言えば「人間性を疑うような者たちとどう向き合うのか」ということであり、抽象的な言い方をすれば、フランクルの「裸の実存」に基づき自分自身の生き方を問うのである。

「こんなひどい働き方を強いる職場には戻りたくない」「パートナーは家族のことを何も考えていないかもしれない」などといった現在進行形の不信や疑念は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題へと歩み出す契機にすぎない。

逃げられる社会から逃げられない社会へ

人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現した。その昔、人類は「定住者」ではなく「遊動者」として生きてきた。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれている。

西田は「霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきた」と指摘する。

だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(以上、西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫)
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