「PISA読解力低下」は子どもたちからのSOS 日本の教育のために大人が気づくべきこと

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ただし、AI読みでは、新しい知識を得るための文章――その代表例が教科書ですが――を正確に読むことは難しいでしょう。学年が上がり、内容が抽象的になればなるほど難しくなります。そうなると、キーワードの暗記以外の試験対策はできなくなります。蛍光ペンでハイライトしたキーワードだけを一晩でギュッと暗記して、テストでバッと吐き出して、翌日はすっかり忘れる。そういう勉強法を繰り返さざるをえなくなります。

それでも、社会や理科の中間テストは結構乗り切れてしまうので、本人もそれほど問題を感じないわけです(一方、AIはいくらでも暗記することができますし、その「記憶」を正確なまま保持することができます)。

子どもが語彙を身に付ける環境が激変している

私たち世代が子どもの頃に、大人との会話やテレビの「まんが日本昔ばなし」、宮崎駿さんらジブリが作り出してきたアニメなどを通じて、自然に身に付けてきた語彙や言い回しを、身に付ける機会そのものが、顕著に減っています。

若い家庭を訪ねると、玩具やAI搭載の家電は豊富にあっても、壁にカレンダーや時計もなく、本や新聞もない、ということは少なくありません。カレンダーも時計も新聞も、大人のスマートフォンの中にあり、幼児や児童の目に触れることはありません。

こうした変化に目を向けずに、単に「もっとICT教育を」とか「もっと読書を」とか「SNSをしすぎだ」と議論をしても、読解力は向上しないことでしょう。そもそも、ブラウザの向こうにあるウィキペディアも、新聞も、小説も、読める基盤的・汎用的読解力が足りないのですから。モノづくり大国日本の斜陽の次は、教育大国日本の崩壊がやってくることでしょう。

 最後に1878年(明治11年)にイギリス人旅行家のイザベラ・バードが日本各地を旅行したときに見かけた、日本の子どもを取り巻く環境について書いた部分を紹介したいと思います。

――私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子に誇りをもっている。見て非常におもしろいのは、毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしていることである。その様子から判断すると、この朝の集会では、子どものことが主要な話題となっているらしい。――
(『日本奥地紀行』イザベラ・バード著、高梨健吉訳、平凡社より)

残念ながら、私たちは、イザベラ・バードが見た日本からだいぶ遠いところに来てしまいました。その「喪失」をただ学校に押しつければ、学校という職場がブラック化し、教員のなり手が減るだけのことです。

気づかないうちに起こる変化、とくに子どもたちに起こる変化ほど、恐ろしいものはありません。彼らは、自分たちが前の世代と違う環境で育っているということ自体を知りません。ですから、自ら異議申し立てをすることもできないし、権利を主張することもできません。

PISA読解力低下は、私には、15歳が身を挺して発信したSOSに思えてならないのです。それを「自己責任だ」と切り捨てるか、PISAなど信頼に足らぬ調査だと無視するか、子どもが育つ言語環境の激変に気づいてやれなかった私たち大人一人ひとりの責任だと思うか。それによって日本の未来は大きく左右されることになるに違いありません。 

新井 紀子 数学者

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あらい のりこ / Noriko Arai

国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長。一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長。
東京都出身。一橋大学法学部およびイリノイ大学数学科卒業、イリノイ大学5年一貫制大学院を経て、東京工業大学より博士(理学)を取得。専門は数理論理学。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める。2016年より読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。主著に『数学は言葉』(東京図書)、『ロボットは東大に入れるか』(新曜社)、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)などがある。

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