マンネリ化した「テレビの笑い」は変えられるか 必要になのは"村の秩序"を打ち破る「異能」

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人気落語家だった故・二代目桂枝雀は、緊張状態の後にくる緩和こそが笑いの源泉だとした。世にいう「緊張と緩和」理論である。人はつねに緊張を強いられたら、身体も精神ももたない。適度の緩和があってこそ、次なる緊張にも耐えることができる。笑いはその機能として、決して不謹慎なものではないのだ。

20世紀以前の、人権意識など未確立で人の命が限りなく軽かったいにしえの時代でも、笑いはあった。「道化(師)」と呼ばれる人々の歴史は、古代エジプトにまでさかのぼるといわれる。近世ヨーロッパやアジアでも、笑いを担う道化の存在は、社会の大切な構成要員だった。

ただ、今の日本の現状を「パンとサーカス」に例える論評を見るにつけ、残念ながら同意すべき点は多い。広義の「娯楽」が愚民政策の一環として語られることは、やはり社会が行き詰まっている証左でもある。

笑いに携わる人は、人間にとって笑いこそが最もすばらしいもので、笑いを提供することは何よりも難しく、だからこそ尊いという高いプライドを持っている人が多い。

そういう意味では、筆者もお笑い至上主義者の1人といえるが、本特集で戸部田誠(てれびのスキマ)氏が指摘するように、今は笑いよりも怒りの時代なのだという指摘は、傾聴に値する。いくら笑いがすばらしいものだと主張しても、時代の空気に抗うのは難しい。

それでもなお、人は笑いを欲するべきだ。ただ問題なのは、今のテレビが笑いの提供者たりえるのかということだ。それはいささか心許ない。

テレビの笑いはフィクションだと忘れられている

今、最も先鋭的な笑いを提供する番組といわれる『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)は、巷間で“ギャラクシー賞か、BPOか”という、本誌としてはやや複雑な(?)例えの評価が定着しているようだが、安田大サーカスのクロちゃんをメインとしたパロディー企画「MONSTER HOUSE」の最終回(2018年12月26日放送)は、散々ウソをつきまくったクロちゃんを都内某遊園地に設えたおりに閉じ込め、さらし者にするというものだった。これが近隣の住民をも巻き込んで“炎上”した。

この事態に対して、関西漫才界の大御所であるオール巨人は、『週刊プレイボーイ』の連載「劇場漫才師の流儀」第74回で、こう記している。

〈(中略)あれは世間に迷惑をかけたという意味ではNGです。ただ、クロちゃんはあんなにお客さんが集まってくれたことで、きっと喜んでたと思うんです。(中略)本人が喜んでいたのであればセーフだと思います。抑々本当にいやだったら、本人が断ればいいだけの話ですから〉

〈もし、クロちゃんと同じオファーが僕に来たとしたら、喜んでOKです。まぁ、絶対に来ないやろうと思って書いてるところもありますけど(笑)。(中略)ともあれ、お笑い芸人の場合は大概、OKなんです。だって、ドラマや映画と同じでフィクションなんですから。ドラマを見て「あんなことしてかわいそうや」とは言わないでしょう?〉(原文ママ)

芸に人一倍厳しいといわれる巨人が〈喜んでOK〉とした意外性より、筆者は〈ドラマや映画と同じでフィクションなんですから〉とした部分に目が行った。ネット社会、SNSで可視化されるようになったむき出しの悪意、さらにタチの悪い高みの見物的悪意の洪水が、笑いにおける現実と虚構との境界線を限りなく曖昧にした。いや、もはや決壊寸前と言ってもいい。

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