田辺聖子はツチノコブームの火付け役だった 1972年の連載小説『すべってころんで』の意義

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『完本・逃げろツチノコ』

神がかり的傑作エッセイである『逃げろツチノコ』は『すべってころんで』に勝るとも劣らぬ面白いものなので、こちらも是非ご一読を願いたい。絶版になってしまって入手しにくいが、本書から3分の1程度を抄録した『幻のツチノコ』(つり人ノベルズ)ならば比較的容易に入手できる。

愛するツチノコのことならいくらでも書いていたいのだが、蛇より短いツチノコに関するエッセイがあまり長くなりすぎるようだと、編集部からアナコンダよりも長い叱責を受けそうなので、そろそろ切り上げようと思う。

最後にこれだけは言っておきたいのが、『すべってころんで』の値打ちの高さだ。

これまで取り上げた新田次郎『夜光雲』(UFO)、吉川英治 『恋山彦』(キングコング)、あるいは今回言及した小峰元『ピタゴラス豆畑に死す』、藤子不二雄『ツチノコさがそう』などは、すでにブームになっている事象に便乗して書かれた作品であるのに対し、『すべってころんで』は40念以上経った今日まで、日本人のツチノコ認知度をキープさせるくらいの息長いブームそのものを作り出した作品なのだ。

「ツチノコの大衆化」で失われたもの

しかし、それと同時にこれも言っておきたいのは、『すべってころんで』を発端とするツチノコブームは、愛すべきノータリンクラブのメンバーをはじめとする、「知る人ぞ知るツチノコ」をひそやかに愛する者たちにとって、あまり嬉しくない結果、すなわちツチノコの大衆化を招いてしまったということである。

『吾輩は猫である』で繰り広げられる、珍野苦沙弥先生ら「太平の逸民」達が放言する太平楽を思い浮かべて頂きたい。「逸民」らのお気楽な太平楽の如く、名誉欲や売名行為とは全く別の次元で、脱俗的に仲間とツチノコ捜しにいそしんでいた山本素石は、世の中がツチノコブームで盛り上がるのと反比例するように、ブームの頂点である1973年、『逃げろツチノコ』を上梓することで、逆にツチノコと決別してしまったのである。「おもろうて やがて哀しき」といったムード漂う『逃げろツチノコ』は、素石がツチノコに捧げたレクイエムであったのだ。

図らずも自分がきっかけになってしまったとはいえ(というよりも自分がきっかけになってしまったからこそ一層)、世知辛さとは最も遠い自分たちの愉しい秘密の世界に、マスメディアとそれに先導された大衆が土足で踏み込んでくるのを、素石が我慢できなかったのも無理はなかろう。

その意味で、様々な伝説・伝承や噂話が、次第にメジャー化(=イメージの統一化、大衆化、陳腐化)していく事例の、最も顕著で象徴的なものがツチノコである。そしてこの象徴的事例の決定的なトリガーとなったのが『すべってころんで』であることを考えると、良かれ悪しかれその歴史的意義は実に巨大なものであったといえよう。

古書山 たかし 古書蒐集家

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こしょやま たかし / Takashi Koshoyama

書籍、レコードなどの稀少な出版物を蒐集しているうちに、家の中は資料の山。その整理をめぐって家族との論争が絶えないのだが、それでも蒐集の手を緩めることはない、情熱の人。出張の折などには、古書店めぐりを欠かさない。「古書山たかし」は、もちろんペンネーム。実は会社四季報にもその名前が掲載されている上場企業の経営者だが、その正体はヒ・ミ・ツ。もちろん社業を軸に据えているので株主の皆様、ご安心ください。

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