日本人が知らない「縄文人」の意外な恋愛事情 縄文人たちも恋をしていたのか?

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もっと冷静に考えてみれば、盛衰はあったにせよ、日本列島に人が暮らし続けたということは、今の私たちと同じように、男女が交わり、子どもをつくってきたからである。だから私たちが存在する。縄文人たち、1万年以上、ずっと交わってきてくれてありがとう、と心の底から私は言いたい。

そもそも、男女が交わり子どもをつくり、次に命をつなげることが彼らの最大ミッションであったと言っていい。そう言うと「フリーセックスの時代だったんだよね? いいな、縄文人たちは」と言う人がいる。

そんなことはない。

いや、そういう人も中にはいたかもしれないが、それは縄文時代に限った話ではない。いつの時代にもそういう主義の人はいただろう。ただ、縄文時代の人々の多くがそうであったかと言うと、そんなことはないのではないか。

集落内の恋愛はタブーだった?

50人以上が一時期に暮らすような大規模な集落ならいざ知らず、一般的な集落はおよそ15~20人ほどで暮らしていたという。構成としては、縄文時代に限らず世界中の先住民でも同じであるが、血縁者を中心に営まれることが多い。その中で年頃の娘が恋に落ちようとすると、条件的にはかなり難しいだろう。

もちろん禁断の恋、というのもあっただろうが、昼ドラも真っ青の血みどろの争いになるのは間違いがないから、そんな危険はそうそう犯さなかったはずだ。それと、彼らは、それまでに培われた多くの経験から、血縁者と交わることによって起こるさまざまな問題を把握していたはずだ。よほどのことがないかぎり、集落内の恋愛はタブーだったのではないか。

年頃の娘はどうやって恋に落ちていたのか。

縄文時代は私たちが思う以上に列島内での交流、交易が盛んに行われていて、伊豆諸島の八丈島にある倉輪遺跡からは、関東、東海、近畿を中心に、遠くは青森の土器も見つかっている。縄文人たちは小さな丸木舟に乗って荒波を越え、島に向かう旅をしているのだ。

もちろん、陸路もある。70カ所ほどある黒曜石の産地のうち、縄文人たちにとって最高のブランド黒曜石は長野県産のものだったようで、数百キロ離れた遺跡から見つかることも多い。

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