「予防医療で医療費を削減できる」は間違いだ 人生100年時代に向けた社会保障改革とは?

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日本福祉大学前学長の二木立名誉教授は、「『健康寿命』という概念には、認知症や重度の障害・疾病を持っており『健康』ではない人の生存権を侵害する危険がある」と指摘してきた(二木教授の医療時評「健康寿命延伸で医療・介護費は抑制されるか?-『平成26年版厚生労働白書』を読む」)。この危険は、「生活習慣病」という言葉にもある。

かつての「成人病」という用語が「生活習慣病」に変えられたのは、1996年に公衆衛生審議会がとりまとめた「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)」に基づいてのことである。この意見具申には、「但し、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』と言った疾患や患者に対する差別や偏見がうまれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」との極めて重要な注意喚起がなされていた。

ところが、この国ではそうした配慮はほとんどなされてこなかった。したがって今では、生活習慣病に分類されている疾病にかかる人には、後ろめたさ、スティグマが意識されると共に、外からはそうした病気にかかったのは「自己責任」であるとの考え方に基づいた発言や、提言が目立ち始めている。

世論の末端と小学生の遠足

さらには国を挙げての健康増進、健康長寿というムードは、残念ながら少なからぬ人の中では優生思想とも容易に結びつくようでもある。このあたりの懸念については、私は次の文章を書いているので、紹介しておこう。

「国策として健康増進」というような旗振りを政府がやろうとすると、世論の末端のところでは,良からぬ大きなうねりが起こるんですね。こうした世論のうねりのことを、僕は、小学生の遠足とか小学生の行進と呼んできたのですけど、先頭に少しのズレが生じると、最後尾の末端では,子どもたちは走らないと追いつけないほどの大きなうねりが生じるものなんです。
戦前に生まれ、過去にそうした時代を生きた人たちが、最近の、たとえば先ほど紹介した『平成26年版厚生労働白書』の総タイトル「健康長寿社会の実現に向けて」を見て、思い出したくない幼い日を記した文章を寄せたくなるのも分かります(『ちょっと気になる社会保障 増補版』292~293ページ)。

最後に――研究者の世界では今、疾病の発症が、生活習慣要因の他に遺伝要因、外部環境要因など個人の責任に帰することができない複数の要因が関与していることを捨象した「生活習慣病」という用語の見直しを行うべしとする動きもある。このことは、健康という言葉のまわりでビジネスチャンスをねらう人達には十分に理解しておいてもらいたい(二木教授の医療時評「厚生労働省の「生活習慣病」の説明の変遷と問題点―用語の見直しを検討する時期」参照)。

そして多くの人達には――確かに、最近では経済産業省の商務・サービスグループなどの言う健康医療政策は重要なのであろうが――この国の医療政策では、2013年の社会保障制度改革国民会議以降進められている提供体制の改革を軸に据える医療介護の一体改革こそが優先課題であることを、わかっておいてもらえればと思う。  

権丈 善一 慶應義塾大学商学部教授

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けんじょう よしかず / Yoshikazu Kenjoh

1962年生まれ。2002年から現職。社会保障審議会、社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。著書に『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1~7)、『ちょっと気になる社会保障 増補版』、『ちょっと気になる医療と介護 増補版』など。

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