恐るべき大器晩成「北条早雲のすごい生き様」 50歳過ぎて無名の武人から戦国武将に急成長
無名の人物から最初の戦国大名となった北条早雲
【3月5日13時45分追記】本記事初出時、早雲が扇谷上杉家と山内上杉家の両上杉家を滅ぼしたとしておりましたが、扇谷上杉家は早雲の孫の氏康が滅ぼしており、山内上杉家は関東から追い出されましたが厳密には滅亡しておらず、長尾景虎を頼って逃れています。お詫びして訂正いたします。また早雲の出自については諸説あり、その旨追記しました。
定年やら年金やらに思いを馳せたり、急に新しいこと(英会話など)を始めては挫折したり……。40代以降というのは迷走しがちな、なかなか難しいお年頃です。しかし、北条早雲は、55歳になってからメキメキと力をつけていき、なんと無名の武人(室町幕府に仕えた官僚だったなど、諸説あります)から、戦国大名になった人物です。今でいえば、平社員がいきなりベンチャー社長になり、あっという間に成功、関東圏を制覇したというような感覚でしょうか。
しかし、40歳までは何をしていたのか。また、その出自も諸説ある人物です。もともとは伊勢新九郎(いせしんくろう)、宗瑞(そうずい)という名でした。ちなみに、鎌倉時代に執権の北条氏が権力を握りましたが、その「北条」とはなんの関係もないので、「後北条氏(小田原北条氏)」といって区別されています。
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