日本の「安全保障政策」に欠けている視点 「economic statecraft」とは何か

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このような中国の考え方は、さまざまな政策から見て取ることができる。たとえば、「中国製造2025」計画は独自のイノベーションを奨励する政策をとることで、中国市場が海外企業にとって不利になるような計画となっている。また、米国製ミサイル防衛システムを受け入れようとする韓国を懲らしめるために、韓国行き団体旅行を禁止する事例も生じている。さらに、中国は政治危機の最中に日本へのレアアース輸出を禁じたことは記憶に新しい。

単にこれらの政策を非難するのではなく、他国の政府もこのような手法を用いるべきであると考える専門家やアナリストが増えている。日本もこのような他国のeconomic statecraftに晒された際に、どのように日本として、あるいは同盟国・友好国と協力して対応して行くかについて本格的に考え、戦略の一部に取り込んで行く必要があるのではないだろうか。

企業やビジネスも新概念を理解すべきだ

このような新たな安全保障環境においては、いくつかの新しい対応が必要とされている。

まず、日本は安全保障に対してより広い視野をとるeconomic statecraft戦略の構築を検討すべきだ。この戦略は国力を包括的に捉え、貿易・投資・経済制裁・サイバー・経済援助(ODA)・金融政策・エネルギー政策・技術協力といった経済的なアプローチを含めるべきだ。また、重視され始めてきたサイバー空間における脅威やパンデミックのような健康への被害、環境問題など、今なお進化・拡大し続ける安全保障上の脅威に対処するツールの性質と価値に対する柔軟な判断が求められる。

次に、日本は安全保障戦略におけるeconomic statecraft機能の強化に向けて、国家安全保障局内に「国家安全保障経済政策会議」を設置することが考えられる。米国では国家安全保障会議(NSC)と国家経済会議(NEC)が別々に存在しているが、安全保障と経済をきれいに分けることができなくなっている時代において、日本でも国家安全保障会議とは別の経済組織を作ることは必ずしも好ましくない。国家安全保障経済政策会議は、戦略策定とその実施に限らず、安全保障に関する意思決定の最前線においてeconomic statecraftが考慮されるように努めなければならない。

最後に、日本政府は民間企業と緊密に連携し、企業やビジネスに対してeconomic statecraftに関する考えを促し、奨励することが不可欠である。日本企業は、日本の国益を追求する上で経済ツールが果たす役割に対する理解がなく、また、この視点から戦略的に考える能力も持っていない。

日本企業は、サイバーセキュリティのベストプラクティスを導入・設計することから情報保護に関する政策に至るまで、安全保障と経済が重なる分野におけるニーズに敏感でなければならない。日本政府や企業は新たに動き始めたeconomic statecraftを反映した戦略と実践の双方において、新しい考え方を受け入れることが必要不可欠なのである。

ブラッド・グロッサーマン 多摩大学ルール形成戦略研究所 客員教授

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Brad Glosserman

パシフィックフォーラムCSISシニアアドバイザー。1991年から2001年にかけて、The Japan Times編集委員。現在、ソウル発行の研究雑誌『New Asia Research Institute』の編集委員や、オーストリアのインスブルック・マネジメント・センター講師なども兼任。ジョージ・ワシントン大学法務博士、ジョンズホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院修士、リード・カレッジ学士。近著に、外交問題評議会(CFR)のスコット・スナイダー氏と共著でコロンビア大学出版会より2015年に出版された‟The Japan-South Korea Identity Clash: East Asian Security and the United States"がある。

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井形 彬 多摩大学ルール形成戦略研究所 客員教授

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いがた あきら / Akira Igata

パシフィック・フォーラム(CSIS )非常勤フェロー。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。コロンビア大学大学院政治学研究科修士課程修了。ジョージタウン大学交換留学生、ケンブリッジ大学客員研究員、平和・安全保障研究所・安全保障研究奨学プログラム生、日本再建イニシアティブ・リサーチャー、Pacific Forum CSIS・SPFフェロー、国際安全保障学会総務委員補佐など、国内外のアカデミア・シンクタンク・コンサルティングで研究活動に従事。専門は、東アジアの国際政治、日米関係、冷戦後日本の外交・安全保障政策。

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