悲運のエース、伊藤智仁は「幸運な男」だった 記録より「記憶」に残る男のヤクルト人生とは
野村克也、古田敦也が認める男
37勝27敗25セーブ――。これが、彼のプロ生活11年間、実働7年間のすべてである。決して特筆すべき大記録や好成績を残したわけではない。彼よりも、もっと成績のいい投手は他にもたくさんいる。それでも、2003年オフに現役を引退して、すでに14年が経過しているにもかかわらず、いまもなお彼に対する称賛の声は後を絶たない。
たとえば、すでに傘寿を過ぎた名将・野村克也は言う。
「彼は本当にピッチャーらしいピッチャーやったな。手足が長くてしなやかで。まるでピッチャーをやるために生まれてきたような身体だった。それに男気もあったし、“打てるものなら、打ってみろ!”という強気のピッチング。“地球は自分を中心に回っている”という一流ピッチャー独特のうぬぼれもあった。長い間野球と関わってきたけど、あんなピッチャーはなかなか出てくるものじゃないよ」
あるいは、希代の名捕手・古田敦也は言う。
「全盛時の彼なら、間違いなく、そのままメジャーでも通用しましたよ。賭けてもいい。アメリカ人たちがみんな、“アンビリーバボー”って驚いていましたよ(笑)。楽勝ですよ、当時の彼だったら。侍ジャパンでもエース格の扱いだったはずですよ」
野村、そして古田が絶賛する男、それが伊藤智仁だった――。
可動域の広い右肩ゆえに投じることのできた「高速スライダー」を引っ提げて、伊藤がヤクルト入りしたのが1993年のことだった。体調不良のため、開幕一軍にこそならなかったものの、4月20日にプロ初登板初勝利を挙げると、7月までに7勝(2敗)をマークし、防御率は驚異の0・91という数字をたたき出した。「直角に曲がる」と称された高速スライダーはセ・リーグの打者を面白いように翻弄していた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら