常磐線再開区間「乗れない切符」が買えるワケ 復旧部分にない「190円区間」が示す全通の日

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夜が明けたばかりの富岡に到着した、下りの運転再開一番列車。鉄道ファンの乗車が多かったが、ささやかながらも地元の歓迎があった(筆者撮影)

2017年に入って、4月1日に浪江―小高間が復旧。代行バスの運転区間が一部を除き、竜田―浪江間に縮小され、同時に竜田―富岡間の運行本数が大幅に増やされた。もちろん、避難指示解除を受けての措置である。だが、まだ住民の帰還が十分ではなく、双葉郡内でも中心的な位置を占めていた富岡の町並みにも、人影がまだ薄い段階では「先行投資」の意味が大きく、利用客はさほど多くはなかった。

10月21日に、竜田―富岡間で初めて営業運転した列車は、いわき5時31分発・富岡6時12分着の普通で、これに乗車した。

「原ノ町・仙台方面」の案内復活

復旧工事成った富岡駅3番線で発車を待つ、いわき行きの普通。一部の列車には特急列車用の651系が充当されている(筆者撮影)

列車の運行系統は基本的にいわき―富岡間で、一部の列車は水戸方面へ直通する。富岡に発着する列車は、すべて普通。11往復が設定された。震災前の普通は17往復あり、さらに6往復あった特急もすべて富岡に停車していたから、やはり震災、事故による人口減少は覆い隠しようもない。

さらに震災前には1往復だけであった久ノ浜折り返し列車が、震災前にはなかった広野折り返し列車(いずれも、いわきから富岡までは行かない)も加えて下り7本、上り6本設定されているところにも「復興格差」が感じられる。富岡町にしてみれば、列車が少しでも増えることが帰還人口をさらに増やすことにもつながろうし、常磐線の運転本数が人口増加のバロメーターにもなろう。

実際、列車に乗っていても、竜田までは新しい住宅も増え、田畑にも耕作の跡が見られるのに対し、竜田を出るととたんに田畑は荒れたまま。まだ屋根にビニールシートを掛けたままという家屋も車窓によぎるようになる。原子力発電所への距離の違いが、目の当たりにできるのだ。この格差を、少しでも埋めることが急務だろう。富岡町の中心地域は、2013年3月25日には警戒区域から避難指示解除準備区域に移行しており、夜間の滞在(宿泊)こそ不可であったが、立ち入りは自由になっていた。4年半が過ぎても、復興はなかなか進んでいないのである。

いわき駅などで感慨深かったのが、ホームの行き先案内が「原ノ町・仙台方面」となっていたこと。以前は貼り紙によって「竜田方面」とされていた。不通区間はあるが、完全復旧に一段と近づいた状況を端的に表したものと感じた。

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