「夏目漱石」の真実をどれだけ知っていますか ロマンを浪漫と意訳した作家の蘊蓄100章

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21. 2008年夏の文庫フェアでは、集英社文庫の『こころ』の表紙を『DEATH NOTE』の小畑健が描きおろし、売上増加

22. 「ロマン」を「浪漫」と意訳したのは漱石

23. 漱石は当て字を多用した作家で、「沢山」「兎に角」「場穴(バケツ)」なども漱石が使い始めたもの

24. 「I love you」を「月がきれいですね」と訳したのはつとに有名なエピソード

25. 「忘年会」という言葉が最初に使われたのは『吾輩は猫である』という説があるが、それより100年以上前の1772年に書かれた随筆が初出という記録がある

26. 日本の小説において口語体を用いて言文一致体を完成させたことが作家としての夏目漱石の功績

27. 漱石はその生涯において17回引っ越しをしている

28. 漱石は17歳で大学予備門(のちの第一高等中学校)入学。ここで22歳の頃同窓生として正岡子規と出会う

29. 1890年、帝国大学(後の東京帝国大学・現在の東大)文科大学英文学科に入学し、93年に大学院に進学

30. 卒業後は愛媛県尋常中学、熊本の旧制五高に英語教師として赴任した

英国留学、「漱石発狂せり」

31. 熊本では新婚時代、妻の自殺未遂、長女誕生、ボートレース出場など濃密な4年を過ごす

32. 熊本時代に阿蘇山に登り、悪天候で遭難しかけたことも。この経験がのちの『二百十日』の創作につながる

33. 1900(明治33)年、文部省が派遣する国費留学生第1号として英国留学

34. ロンドンでは孤独とストレスにより神経衰弱に陥り、留学仲間から「漱石発狂せり」と報告されるほどに

35. 帰国後の精神状態が不安定な漱石に、気分転換として小説執筆を勧めたのは子規の後継者・高浜虚子

36. こうして生まれた処女作が『吾輩は猫である』。これが1905年「ホトトギス」に掲載されると大人気に

37. 『吾輩は猫である』は当初一篇で完結のはずだったが、リクエストが殺到して十一篇まで連載が続いた

38. 『吾輩は猫である』の最初のタイトル案は『猫伝』

39. 1906年には教師と作家の二足のわらじで『坊っちゃん』『草枕』『二百十日』を立て続けに発表

40. 『坊っちゃん』は物語の着想を得て書き始めるまで3日、脱稿まで約 2週間というスピードで完成させたとされる

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