イギリスの「チャヴ」が暗示する日本の末路 弱者を敵視しすぎる階級社会 

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このような状況になった背景には、階級闘争があったという。通常、階級闘争といえば、下から上への闘争を考える。しかし、ここでは違う。上から下へ向けて、富裕層が自らの利益を守るための闘争なのだ。保守党のサッチャーが仕掛けた、階級で物事を考えるのではなく、個々人の自助努力で物事を考えるようにする、という作戦が功を奏したのである。

労働者階級の中でも、向上心のある者は中流階級へと上昇し、それができない者は、貧困白人労働者階級として取り残される、という考えである。労働者たちの受け皿であった工業や鉱業が大打撃をうける中、こうして労働者階級の社会が分断されていった。分断は、公営住宅政策にもあてはまる。詳細は省くが、結果として、かつては多彩な労働者階級が暮らす場であった公営住宅は、貧しい白人労働者たちだけが住む場となった。

“西欧諸国に残っているのは貧困以外の問題です。たしかに、貧困らしきものはあるかもしれない。それは予算の立て方や、収入の使い途を知らないからです。しかし、いま残っている問題は、個人のごく基本的な性格の欠陥だけです。”

政治が分断を産み、分断が差別を産む

『チャヴ 弱者を敵視する社会』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

驚くような発言だが、マーガレット・サッチャーによるものである。「貧困らしきもの」は、あくまでも階級や制度の問題ではなく、能力主義的な帰結であると一国の首相が堂々と語るのである。チャヴに対して蔑視してもかまわないという姿勢がこのようにして醸成されていった。

「いまやわれわれは皆中流階級」という潮流の中、労働党は何をしていたのか、貧しい白人労働者階級は何を考えているのか、チャヴもふくめ英国の本当の姿はどうなのか、そして、今後どうすべきなのか、などなど、論が進められていく。読み応えたっぷりだ。

政治が分断を産み、分断が差別を産む。そして、さまざまな事件を通じて、知らず知らずのうちに、その差別が当然のこととして社会に受け入れられてしまう。はたして英国だけの問題なのだろうか。一旦、そのような状況になってしまうと、不可能とは言わずとも、元にもどすのは極めて困難だろう。我々が住む社会がそのように歩むことがないよう、個人個人が考えながらチェックし続けることが必要な気がしてならない。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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