「トミーカイラZZ」EV版を作った男の真実 ゼロからの無謀な挑戦を成し遂げた

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藤墳氏:夢を達成し、エンジニアとしてもっと「ものづくりに集中したい」という欲求が芽生え、新たな居場所を探しながら、業務に必要なマネジメントに関するビジネス本を読んでいました。その本には、トヨタ生産方式の強みの一つである「カイゼン」が盛んに取り上げられ、またエンジニア周りから入ってくる情報でも、「トヨタ出身者はひと味違う」と、トヨタに関するたくさんの評判を直接見聞きしていました。

なかなか落ち着かず、すぐ新しい場所を求めてしまう自分に、妻は「やりたいことがあるなら、やればいい」と、この時もトヨタへの転職を後押ししてくれました。それで面接を受けるわけですが、正直、自分には設計者・エンジニアとしてそれなりの自負はありました。日産、川崎重工と経験を積んできたことに、どこか設計の仕事を楽観視していたのかもしれません。ところがトヨタの面接では、けちょんけちょんにされ、それでも奇跡的に受かったと思えば、今度は現場の開発風土の違いに、「鼻っ柱を折られた」気分でした。

――また、イチからの再出発を余儀なくされます。

藤墳氏:自動車設計の経験は日産で十分積んでいたつもりでしたが、担当者権限の強い日産に比べて、上司が徹底的に面倒を見てくれるトヨタと、そもそもの企業風土が違ったんですね。風土が違えば、やり方も当然違う。私が提案した図面は全然通りませんし、厳しい部長への定期報告の日には、気が重くて本当に逃げ出したくなるほどでした。

また日産時代とは違い、私が担当していたのはアンダーボディと呼ばれる、デザインに左右されない、自動車の基幹部分となるプラットフォームの設計でした。10年、15年先を見据えた息の長い設計が必要とされ、「設計」そのものの難しさを叩き込まれ、本当にイチから、技術を伸ばしてもらっていました。レクサスを中心にカムリや北米向けのシエナを担当し、担当者から課長まで、いろいろな視点で開発現場を見ることができたトヨタでのこの時期は、間違いなく今のGLMでの礎石となっています。

たった5人のベンチャ―会社。妻との「三年の約束」

藤墳氏:バイク設計から再び、車の設計に携わりたいとトヨタに移って6年。日産時代も足すと11年。車づくりがどういうものか、わかりかけてきた頃、私の中で、その車づくりで「失敗をしたい」という、また妙な欲望が涌き起こってきました。

それまでの車づくりの現場では、当然ながら「失敗しない」ことが求められていました。社内の設計基準や生産技術要件を踏まえ、徹底的に短期開発に徹し、一発OKが基本。そんな“試作レス”のものづくりに違和感を覚えてしまったんです。また同時に、役職が上がるにつれて、だんだん現場から離れていってしまう「怖さ」と「寂しさ」も同時に感じていました。その頃の私にあったのは「ものづくりの最前線にいたい」という、エンジニアとしての純粋な気持ちでした。

そんな気持ちを抱えていた時、EVのベンチャ―企業が話題を集めていて、なんとなくネットを見ていたら、面白そうな会社がヒットしました。それが今のGLMだったんです。「京大発のベンチャ―企業が前代未聞の挑戦に向かっている」。読んでいるうちに心を鷲掴みにされた私は、すぐにサイトに記載されていたアドレスに、「御社で働いてみたい」と、メールを送っていました。

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