「トミーカイラZZ」EV版を作った男の真実 ゼロからの無謀な挑戦を成し遂げた

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――今度は、イチからではなくゼロから……。

GLMのEVプロジェクトに携わりたかった

藤墳氏:「ゼロからクルマづくりを」と思っていましたが、実際にGLMの京都オフィスに行ってみると本当に何もありませんでした(笑)。CADも工具すらも、およそ車の設計に必要なものがない。ただ、何もないということは、しがらみもないということでもありました。

「ここなら失敗が思う存分できる!」。もちろん給料は、前職の半分以下。それでも、どうしても想いをかき立てられるGLMのEVプロジェクトに携わりたくて、妻に泣きつきました。妻には「必ず3年で形にする」と約束。実績も知名度もないベンチャー企業に行くことについては、当然周りの友人知人からも反対されましたが、なにより猛反発を受けたのは、両親からでした。

「子どもも二人いるのに、お前は一体何を考えているんだ。どうしても転職したいなら、もう家の敷居をまたぐな!」とまで言われる始末。どうにか自分の気持ちを分かって欲しくて、この時はじめて、自分のエンジニアとしての想い、そしてどうしても転職したい理由を、両親と義両親、そして兄へ、20枚くらいの手紙にしたためました。

――“無謀な挑戦”を、3年の約束で。

藤墳氏:ここまできたら結果で見せるしかありませんでした。私が入社した当時、GLMでは、当時生産が終了し幻と呼ばれていたガソリン車「トミーカイラZZ」(トミタ夢工場)を、エンジンを取り除きモーターに置き換えた“コンバーションEV”として復活させるべく、試作車をすでに発表していました。地元、京都では「幻の名車がEVとして復活」と沸き上がっていたそうですが、実際のところ、会社は大きな転換を迫られていたんです。

というのも、そもそもコンバーションEVは、話題性はあったものの、本当の車好きを満足させるような出来にはなっていなかったんです。GLMは主軸と捉えていたコンバーションEVによる事業展開を諦めて、車づくりをいよいよゼロから始めなければならないという局面に立たされました。社長の小間は当時を「絶望のドン底」と振り返っていますが、私にとっては「願ってもないチャンス」でした。

――藤墳さんのエンジニア魂に、一縷(いちる)の臨みが託されます。

藤墳氏:とはいえ、ゼロからのEVトミーカイラZZの開発は、なかなかスリリングでした(笑)。予想通りEV版ZZの開発は失敗、困難の連続。当初供給を約束してくれたバッテリーメーカーからは突然、部品開発を断られもしました。少人数の名もなきベンチャ―企業の自動車開発に懐疑的なのは当然のことかもしれませんが、開発に必要な部品供給すら勝ち取ることができないのは、さすがに辛いものがありました。

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