「他人の人生を覗く」に魅せられた男の仕事観 ゲーム作りとの両立で人生を過ごしていく

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この「手帳類図書館」を手掛けているのは、志良堂正史(しらどう・まさふみ)さん。2014年に他人の手帳の魅力を知り、現在までに買い取りや寄贈によって1000冊近いコレクションを所有している。ギャラリーに保管しているのはその一部で、非公開のものや各種イベントに持ち出すストックもある。

本業は別にある。ゲームプログラマーとしてベンチャー企業に籍を置いており、現状、手帳類の活動は収入の柱にはなっていない。しかし、明らかに生きる糧にはなっているそうだ。曰(いわ)く「婚約者には趣味だよねと言われますけど、僕の中ではワーク」。

この少し変わったとらえ方の根底には、志良堂さんならではの“資産観”があるようだ。理解するために半生を追っていこう。

「自分は自分」というスタンス

志良堂正史さん

志良堂さんが生まれたのは1980年の広島。自営業の傍ら趣味で農業も営む両親の下で育った。裕福な暮らしではなかったが、小学1年生のときにファミコンを買ってもらい、それが生涯の趣味となる。進学校から競走馬育成牧場に就職したのも競馬ゲームにはまったのがきっかけだった。

「高2の頃から中央競馬の試験を受けたり乗馬クラブで就職の方法を調べたりしていました。親も本音は反対していたかもしれないですけど、言動で本気ぶりを伝えたら納得してくれましたね」

同級生の多くが大学に進学しても特に焦りはなく、「自分は自分」というスタンスで北海道にある牧場の門をたたく。

住み込み生活は想像したよりも熾烈だった。優に15kgある水桶を両手に持って厩舎を何往復も歩くのはひ弱なインドア派にはきつく、ヤンチャ盛りの若い馬の世話では突然飛んでくる後ろ足に命の危険を感じたりしたりもした。それでも「親を説得してきた手前、すぐに逃げ帰るのは格好悪いですし、今後の信頼関係に響くと思ったんですよね」と、忍耐の1年半を過ごす。

それから進路をリセットして原点回帰。ゲームを作る仕事に従事したいと思い至り、京都にあるプログラミング専門学校を経て、横浜にあるゲーム会社に就職した。ひたすらゲーム開発に従事する幸せな日々を送るが、しだいに自分が望む作品を作りたい気持ちが大きくなっていき、入社から7年後の2010年に退職を決意した。フリーランスのプログラマーとなって群馬に移り住んだとき、ちょうど30歳になっていた。

群馬を選んだ理由は、東京に足しげく通うのは厳しいけれど、必要なときは行けなくもない距離にあることと、なじみがなくて新鮮なこと、そして、家賃が安いことを挙げる。金銭に関しては退職する前から細かく計算していた。

「家賃込みで月10万円で暮らせる計算を立てていました。辞めるときには貯金が400万円あったので、この条件なら3年はいけるなと。ゲームをいちから作ろうと思ったら、形になるまで1年はかかりますからね」

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