妻からも見放された34歳男性派遣社員の辛酸

家賃は3カ月滞納、主食はモヤシ

自殺未遂の話や壮絶な貧乏暮らしを語っているのに、人懐っこい笑みを絶やさない。昼時だったので、会計はこちらで持つので一緒に食べましょうと誘っても、もう済ませてきましたからと、丁寧に断ってくるところにきまじめな人柄がうかがえる。

関西出身で、元は両親と弟の4人家族。最初のつまずきは、高校卒業後に進んだ介護専門学校の実習先でイジメを受けて退学、それが原因でうつ病を発症したことだ。

ちょうど介護保険制度が始まった2000年。ちまたでは、介護専門学校が相次いで開校し、「未来のある仕事」として多くの学生も集まった。しかし、サトシさんが実習で訪れた施設は、職員のほとんどが中高年女性。事あるごとに「こんなの男のする仕事じゃない」とバカにしたように言われたうえ、さらには、声が小さいとしかられたので声を張ると、うるさいと遮られ、質問をすれば「そんなこともわからないの」と怒鳴られ、見よう見まねでやって失敗すると「こんな簡単なこともできない」と陰口をたたかれたのだという。

「男子学生がターゲットにされがちで、結局、クラスメートの4人に1人が退学しました」

介護保険制度が始まった当初は、今と比べて女性職員が多かったのは事実。それまで自身の経験や技術で現場を切り盛りしてきた彼女たちの中には、新制度に戸惑いを抱く人もおり、時にこうした感情の矛先が若い専門学校生に向かうことは、あったのかもしれない。

両親とは縁を切り、ひとり上京

うつ病は退学後も悪化し、ついに措置入院をすることになった。学校を辞めることに反対していた両親との関係もこじれる一方。入院中に見下したように「そこまで落ちたのか」と言われたことがきっかけとなり、両親との縁を切り、東京に出ることを決めたという。

ちょうどこの頃、小泉政権によって製造業派遣が解禁。身ひとつで夜行バスに乗り、東京・新宿に着いたサトシさんは程なく工場派遣の仕事に就いた。派遣労働の規制緩和については、不安定雇用を増やすだけだとの批判もあったが、彼は、このときが人生でいちばん楽しかったという。

「収入は(手取りで)15万円ほどでしたが、安定していましたから、仕事仲間と飲みに行く余裕もありました。3年後には正社員になれるという話もあったので、“そのときまでみんなで頑張ろう”と励まし合ったりして。フィリピン人や日系ブラジル人の同僚が“帰国したら商売を始めるんだ”“家族のために家を建てる”と夢を語るのを聞くのも好きでした」

この頃、工場で出会った女性と結婚もした。ただ、彼女の両親は、サトシさんが派遣社員であることを理由に結婚に猛反対したという。妻の実家は代々続く資産家。両親からはひたすら「派遣じゃ、いつ失業するかわからないし、給料も上がらないでしょう。将来厳しいよね」と諭された。彼らはサトシさんの人柄ではなく、「身分」にダメ出しをしたのだ。彼にできたのは、ただ頭を下げ続けることだけ。最後は、彼が妻側の姓を名乗ることを条件に、両親が折れた。後ほど彼女から「(姓が変わることで)娘の結婚を親戚や近所に知られるのが嫌だったみたい」と説明された。理由はもちろん「相手が派遣だから……」。

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