過剰品質!「Busyな資料」が長時間労働の一因
私は資料作成の研修をさまざまな業界で行っています。受講生の方に自分の資料を研修に持ち込んでいただいて改善したり、研修後に改善したものを提出いただき、私が添削することもあります。そのためかなり多くの業種・職種の方々が作成する資料を目にしていますが、総じて言えることは「Busy(煩雑な、冗長な)である」ことです。
これは私だけがそう思うわけではなく、研修を依頼される経営者や人事の方も「うちの会社の資料は、何が言いたいかわからないんですよ」とおっしゃいます。作成するご本人が「気がつくと冗長な資料になってるんですよ」と言っていることも。
この現象は多くの企業で共通しており、Busyな資料は長時間労働の1つの原因になっているのではないかと感じています。今、目指すべきは過剰品質ではなく、最適品質です。
ピーター・ドラッカー氏は「成果を出すために行った労力が少なければ少ないほどよい仕事である」と述べていますが、日本企業はどちらかというと、ありったけの資源を投入してできるだけのことをするのがいい仕事とされてきてはいないでしょうか?
資源とは人や時間、またパワーポイントなどツールの機能も含みます。長い時間をかけて、パワーポイントの機能をできるだけ駆使して作る資料ははたしてよい資料といえるでしょうか? 国全体で生産性が問われている今、過剰品質、ひいては自己満足になっていないかを問う必要があると思います。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら