元大関「魁皇」の妻が歩む波瀾万丈すぎる人生 相撲部屋の女将になった元女子プロレスラー
結婚した魁皇は、まさに絶好調。なんと入籍した翌年の2000年、初の幕内優勝を果して大関に昇進し、ついに横綱を狙える所まで上り詰めた。
そんな魁皇に暗雲が立ち込める。腰の大きなケガ、ヘルニアを負ってしまったことを皮切りに、その後幾度となくケガに泣かされ、休場が続くことも。そんな時、充子さんが耳にしたのが、「あの奥さんが悪いのよ。やっぱり元プロレスラーに力士の妻は無理なんじゃない?」。夫のケガは妻のせいだという、世間の厳しい声。人気力士がゆえに、囁かれる悪い噂だった。
これを聞いた充子さんは、かえって元女子プロレスラー魂に火が付いた。栄養管理の特製ジュースを手作りし、専属のマッサージ師を呼ぶ、クールダウンには湿布を張るなど、魁皇の現役時代10年以上、満身創痍の夫の体のケアを毎日のように続けたのだ。
その時の苦労を充子さんはこう語る。「相撲協会の大事な宝、ファンの人の大事な魁皇関という人を、私がお預かりしているんですよ。ずっと。その責任感というか、重圧は凄かったです」
夫・魁皇は通算1047勝の歴代最多記録を樹立
そんな充子さんの支えもあり、大関・魁皇は通算勝利数1047勝という歴代最多記録を樹立。この偉大な記録を残し、23年間の力士人生に、惜しまれながら幕を下ろした。そして迎えた2012年5月。断髪式当日に訪れたお客さんは、なんと1万人!結婚して10年以上、力士の妻として初めて苦労が報われた瞬間だった。
しかし、これはあくまで、一区切りに過ぎなかった。充子さんの新たな戦いは、再び始まってしまう。
夫・魁皇が現役を引退した後は、充子さんも、力士の妻という重圧から解放され、穏やかな暮らしを送っていたが、引退から1年たったある日、夫から思わぬ一言を告げられる。
「部屋を作ろうと思う」
夫が口にしたのは、独立して自分の相撲部屋を持つこと。充子さんにはいつかそんな日が来るかもしれないという覚悟はあったものの、この「独立」は想定外だった。
一般的に、引退した力士が部屋を持つ際は、先代の親方から引き継ぐことが多いとされている。九重部屋、高砂部屋などがその代表例だ。そんな中、夫が選んだのは、独立してゼロから自分の部屋を立ち上げるということ。そこには、充子さんの想像を超える困難が待ち受けていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら