国民的ヒット曲が生まれなくなった根本理由 音楽を取り巻く環境に起きた構造変化
ラジオ局のプログラムには音楽番組が欠かせない。「電リク」という言葉を最近は知らない人も増えたが、電話でリクエストを受け付ける番組が各局で当たり前のようにオンエアされていた時代があったし、ヒットチャートを紹介する番組はいまも健在だ。
聴取文化の断絶
僕自身もそういった音楽番組の制作に携わったことがある。あれはたぶん2000年前後くらいだったと思うが、ちょっとした異変を感じるようになった。電話オペレーターが全員女子大生アルバイトという番組を担当していたのだが、リスナーからのリクエスト曲を聞き取る際、彼女たちが曲名を知らないというケースが増えてきたのである。
リスナーからの電話を受けると、彼女たちはラジオネームや番組へのメッセージ、リクエスト曲のタイトルなどを聞き取ってシートに記入する。それがディレクターのもとに回ってくるのだが、そこにギョッとするような曲名が書かれているのである。
思い出すといまでも動揺を禁じえない迷作を挙げると、たとえば「覚せい剤の喫茶店」というのがあった(もちろん正しくはガロの「学生街の喫茶店」だ。たしかに喫茶店が取引現場になることもあるかもしれないが)。「白人は招くよ」も忘れ難い(これも正しくは「白銀は招くよ」。なんだか文脈によってはポリコレ的な炎上を招きそうでコワい)。
あまりにミスが頻発するので問い質してみたところ、知らない曲ばかりだという。だが決して彼女たちは音楽を聴かないわけではない。それぞれに大好きなアーティストもいるし、ライブにも足を運んでいる。つまり先行世代と聴取文化を共有していないだけなのだ。
一方、担当していた別のチャート番組では、また違った変化を感じていた。この手のチャート紹介番組では、チャートインした曲のおいしいところをカッコ良くつないだ素材(フラッシュという)をあらかじめ作っておくのだが、なんというかこの頃から音圧の高い曲が増えてきたのだ。昔の歌謡曲のノリでミキサーのフェーダーをあげているとVU計の針が振り切れてしまうような曲が多くなった。あまり専門的な話には立ち入らないが、メロディから音響へというか、シンプルから複雑化へというか、ヒット曲の音のつくりが明らかにそれまでとは変わったのである。
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